JUONのあの人: 第44回 吉田英二さん

第44回 JUONのあの人
吉田英二さん

吉田さんは、1971年東京都板橋区で生まれた。その後すぐに埼玉県志木市へ移る。高校卒業後、写真の専門学校に通うが中退し、母親をたよって伊豆の伊東市に。ホテルで4年ほど勤めた後、結婚して東京へ。鍵屋、トラック運転手などを経て、2008年に社会福祉法人山の子会山の子の家に就職。現在、割り箸事業も統括する作業主任。「元々対人関係がすごく苦手で。でも、対利用者さんとでは嫌なことは全然ないですよ(笑)。」
 


2011年から「樹恩割り箸」を製造する東京都日の出町にある山の子の家。40名あまりの知的障害者が暮らす施設です。スタートした当初から、中心的に現場での製造を担当し、現在も割り箸事業の責任者でいらっしゃるのが、吉田英二さんです。これまでの歩みや思い、また、JUONへの期待について伺いました。
 
 

割り箸の作業工程って、どこまでも細かくできたり、まとめたりができるので、知的障害者に向いている。


「技術も取り柄もない30越えた人間を、雇ってもらえるところを探していたんです。とりあえず飛び込んでみようと思ったのが、福祉の世界でした。」

様々な仕事をしてきた吉田さんが、今の仕事に就いたのは36歳の時。対人関係が苦手で、人と関わらなくてもよい仕事を選び、直前にはトラックの運転手をしていた。しかし、将来を考えるとこの仕事は体力的に辛くなると思い、転職を決意する。姉が看護師だったこともあり、最初は看護助手として家の近くの病院で働き始めた。

看護や福祉のことを何も知らなかったため、自分が困るのは嫌だと、休み時間や仕事終わりにリハビリの部屋に通った。作業療法士や言語聴覚士に色々なことを教わり、技術者からは、レントゲンやCTについても学んだ。その後、家の近所にあった、山の子の家に入職。独自の新聞折り込み広告を見たことがきっかけだった。

「小学校の担任が、自分たちの卒業とともに、養護学校の先生になると言って辞めたことを思い出しました。先生がやりたかった仕事ってどんなものだろうと、興味を惹かれたのかもしれません。」

当時、山の子の家では、利用者である障害者が新しく行う仕事を探していた時期だった。豆腐屋、パン屋、クッキー屋など候補が挙げられたそうだが、地元地域にたくさんある木を活用してはどうかとのアドバイスがあり、割り箸を作ることになる。

「バイクが好きで機械をいじってますと面接で言ったので、割り箸班のリーダーにしようとは思っていたようです。数年経って、ほかの作業班も含めた作業全体を統括する、作業主任をやって下さいと言われたんです。」

新規作業の立ち上げと並行して、障害者が暮らすグループホームを建てる計画もあった。元々の作業主任の方がその担当になることになり、後任としてまだ一番の新人だった吉田さんに白羽の矢が立つ。何も知らない世界だったため、夜勤の時も仕事が終わってからも、とにかく職場にある資料を読み漁っていた。その姿が評価されていたのだ。

割り箸班のリーダー、後に作業主任も兼任して、割り箸事業の立ち上げに大きく尽力することになる。もちろん、ほかの樹恩割り箸の製造工場も見学したが、自分の施設ではどのようにするのかは手探りで、試行錯誤の連続だった。毎日夜遅くまで残り、割り箸を作っていたという。

「割り箸の作業工程って、どこまでも細かくできたり、まとめたりができるので、知的障害者に向いている作業だなって思ってます。」

山の子の家には重度の障害者が多いため、製造量は少ないが、それぞれの特性に合った作業を作ることができる。

「やっぱり、利用者さんと話していると楽しいですよね。」

吉田さんは、これまでで最も長く続ける仕事となった理由をそう話す。障害者は、様々な人や社会から、気持ちも含めて抑圧されているが、本当に真面目に生きていると思う。時折、不適切な表現で意思を伝えようとすることはあるが、本人の気持ちをうまく伝える方法が分からないことから、そうなってしまう。伝わらないことが、本人も辛く、苦しいことだと思っているそうだ。だからこそ、利用者の伝えたいことを理解して、心から支援したいと考えているのだという。

「JUONと関わって、第一次産業の大切さを考えるようになりました。自分が小さい頃は、将来の仕事を考えても材料が足りず、どんな仕事があるのかという知識もなかった。JUONは林業や農業について大学生を対象にしていることが多いけど、小学生も対象にしてほしい。より小さい時に興味を持ってもらった方が、可能性もより広がる。」

そして、福祉についても同様だ。

「障害者に対する理解も教育ですよね。小さい時に教育しないので、昔は障害者を隠す風潮がありましたが、そばにいて理解することが大切。子どもの頃はその問題すらよく知らなかった。実際に自分がこういった仕事に携わっていると、障害が重い方には、その人に合うプログラムが必要ですが、軽い方なら、周りの理解と協力さえあれば小中学校までは全然通うことができると思いますよ。」

 

  • 2018年3月10日「樹恩割り箸専門委員会」の際の吉田さん。

  • 2012年7月1日「第14回総会・記念イベント」の割り箸工場見学ツアーでは、山の子の家を訪ねた。
 
池 大祐・鹿住 貴之
JUON NETWORK 2020年 第114号