JUONのあの人: 第12回 原島俊二さん

第12回 JUONのあの人
原島俊二さん

原島さんは1955年、東京都奥多摩町棚沢地区に生まれた。CAFE&GALLARY「山鳩」では、旬の食材や奥多摩の野菜を使った料理が楽しめる。店内には展示スペースとして写真や絵画も飾られており、窓際の席からは、奥多摩の四季折々の風景が堪能できる。
 


毎月第3日曜日の「多摩の森・大自然塾」や、今年14回目を迎える「森林ボランティア青年リーダー養成講座in東京」で、JUONが活動の拠点としている東京都奥多摩町の鳩ノ巣フィールド。鳩ノ巣駅のすぐ近くで喫茶店「山鳩」を営んでいるのが原島俊二さんです。活動を終えて立ち寄ると、いつも美味しい料理と素敵な笑顔で迎えて下さいます。
 
 

よそから来る人の要望と地域をマッチングさせるのが、一番俺ができる仕事かな。


「生い立ちというほどの育ち方はしてないけど。生まれたのはここ。ずっとここで生まれ育って、学校出て23歳で就職して、5年間サラリーマンやってた。その間に結婚して、青梅に30くらいまで住んでた。青梅の河辺ってとこね。で、こっちに帰ってきて、親の仕事を手伝って、現在に至る。」

サラリーマン時代は、青梅市の河辺から三鷹市までの通勤生活。金融関係の営業として、毎日スーパーカブに乗って得意先を回っていたそう。実家ではご両親が民宿を経営していて、当時は夏休みになると連日満杯になるほどの盛況ぶりだった。そんな原島さんが、30歳で地元に戻り、家業を継ぐことになったきっかけとは。

「もともと山が好きで、今でも仲間や、大学時代の同級生と月1程度、山歩きを楽しんでいる。市街地にいるより、山村の方が性に合っていたのだと思う。それに奥多摩で暮らす方がのんびりして楽かな、と思ったけど、それはなかった。」

お父さんが1948年頃に始めた駅前の民宿は、山鳩山荘として移築。今後は宿泊客より日帰り客が増えると考え、その場所は喫茶店にした。

小河内ダムができた57年から、しばらくはダムの観光で訪れる人が増えた。平成になり週休二日制が定着してからは、人々のレジャーに対する価値観が多様化してきたように感じるという。最近では有名な観光名所がない普通の町でも、観光地としての要素を見つけてうまくPRするようになった。

「今特にね、人がいないと面白くなくなってんだ。人が住んでいる町、人の営みが感じられるところの方が、みんな興味もってきてるんだよね。昔はさ、人がいなくても風光明媚なところは観光地として成り立ったんだけど、今はやはりちゃんとそこに人が住んでて、人がなおかつそこの地域を愛しててイキイキ暮らしてるようなとこが、一番観光地としての価値が上がってる。」

奥多摩町でも、21ある集落の生活路を結ぶ道を作り、山村の暮らしをかいま見てもらえるような広報を行なっている。

親も会社勤めだった自分たちの世代は、一人前に山仕事をできる人はほとんどいない、と話す原島さん。

「『奥多摩に来てこんなことやりたいんだ』みたいな人がいたら、じゃあこんなふうにやってっていう、コーディネート役かな。それがまあ、俺の一番やれることかな。山仕事教えてくれって言われても、俺山仕事したことないから、奥多摩住んでても。だったら、よそから来る人の要望と地域をマッチングさせるのが、一番俺ができる仕事かな、と。」

JUONとのつながりも、まさにそうしたコーディネートがきっかけだった。

現在は、森づくりフォーラムが主催し、JUONが事務局を担当している今年で10周年の「多摩の森・大自然塾 鳩ノ巣フィールド」。鳩ノ巣での活動を始めた当初、地元の人達と交流するきっかけをつくりたいと相談に行ったのが、当時自治会長を務めていた原島さんだった。

「地元の側にしても、休みになると大勢来て『あの人達はどっから来てるんだろうか』ってみんな遠巻きに、不思議そうに見ていたんで。これはじゃあ一回、この企画で、地元の人達にも呼びかけて、交流が始まればということで、3月の最後の日曜日に、植樹祭を一緒にやったんだよ。」

この植樹イベントは、この後5年ほど継続して行なわれた。また、東京ヤングジュオンが以前行なっていた「森のクッキング」という、年に数回、鳩ノ巣のお母さん達に地元の料理作りなどを教わろうという企画では、俊二さんに紹介していただいた長寿会の女性部の方達にお世話になった。

「どんどん過疎になっていく中で、これからそういった人達と積極的に交流していかないと、地域はますますダメになっていくだろうなあ、というところがあったんで、もちろん誰でもってわけではないけれど、地域に、奥多摩にまじめに取り組んでるような人達は、できるだけ入って来られるように、協力させてもらうという気持ちは最初から持ってた。」

地域は、そこに住んでいる人で固まってしまうと硬直化してしまう。よそから人が来ると刺激になってすごくいい、と原島さんは言う。

「よそから来た人の方が、この地域をこれからどうしたらよいかっていうところは真剣だよね。勤めてる人はまだ地域をどうしようかっていうのを考えてる余裕がないっていうかね。よそから奥多摩に移り住んで、時間はたっぷりあって、これからどうしようかって人達の方が、地域を変えられると思うね。」

地域とうまくやっていくための心構えを教わった。

「謙虚な気持ちで、少しでも地元の人の手伝いができればっていう姿勢さえあれば、うまくできると思うよ、どこ行っても。たいしたことやらんけど、やってあげようっていう気持ちだと、地域とはうまくいかなくなっちゃうよね。謙虚さみたいなの持ってれば大丈夫だと思うよ。」
 

  • 料理を運ぶ原島さん。奥多摩にUターンしてきた若夫婦の農家へ、無農薬野菜を買いに行くことも。

  • リーダー講座にも、地元の方として何度か話しに来ていただいている。「JUONに期待するのは、大学生など若い年代の参加者が多いこと」と原島さん。
 
徳田 一絵
JUON NETWORK 2012年 第82号