JUONのあの人: 第19回 生源寺眞一さん

第19回 JUONのあの人
生源寺眞一さん

生源寺先生は1951年、愛知県名古屋市に生まれた。東京大学農学部農業経済学科を卒業後、農林水産省の農事試験場勤務などを経て、96年から東京大学教授、2011年から名古屋大学教授。この間、ケンブリッジ大学客員研究員、東京大学大学院農学生命科学研究科長・農学部長。「ここ数年は、高校生や大学生向けの本を書いたり、若い世代をサポートすることはできないかな、という気持ちを持ち続けて仕事していますね。」
 


2012年6月、JUONは新会長を迎えました。農業経済学がご専門の生源寺眞一さんは、研究だけでなく、学生とともに農山村で活動するなど、都市と農山村を結ぶ実践もされています。JUONに関わることへの思いや、農村におけるNPOの役割について聞きました。
 
 

派手に脚光を浴びなくても、同じ思いを持った人との つながりが大事かなと思いますね。


「水関係の仕事が多かった時期もあって、その源にある森林には縁を感じているんですよね。」

小学生時代の印象的な出来事として、愛知用水の水源である牧尾ダム建設に携わった遠い親戚が、スライドで建設の様子を見せてくれたことがあるという。研究のフィールドとして、愛知用水を利用する知多半島を調査していた経験が縁で、11年の通水50周年記念の王滝村の森林シンポジウムでは基調講演をした。また、母方の祖父が営林署の職員で、森林との縁はさまざまなところで感じている。

農業経済学の分野でよく知られている生源寺会長だが、大学入学当初は工学部系。徐々に、自分は理系ではないなという感覚が大きくなり、経済学に興味があったこと、自然や生きものが好きだったことなどから、農業経済学に辿り着いた。

卒業後は、進学して農業史を学びたい思いもあったが、埼玉の鴻巣にあった農林水産省の農事試験場に就職。5年後、北海道の農業試験場に移り6年間、研究員生活を送った。農家への聞き取り調査など、フィールドワークの多い仕事は自分に合っていたと話す。

「作業の実感が湧かないとしっくりこないところがあってね。酪農家に泊まり込んで2週間くらい搾乳や牧草収穫を手伝ったり。今でもやれと言われたら機械田植えもできますよ(笑)。」

その後、東京大学農学部助教授を経て、1996年から東京大学教授となる。ずっと以前から60歳で東大を辞めることは自分の中で決めていたという。実際には59歳の11年に、現職である名古屋大学に移った。実は、父方の祖父が名古屋大学の初代工学部長だったり、先生自身が名古屋大学附属病院で生まれたりという不思議な縁でもある。

東大にいた07年からの4年間は、農学部の学部長として、学生と関わる機会が増えた時期だったと振り返る。例えば、他学部で農業に関心がある学生の相談に乗るなど、農業経済以外の学生と接することもあった。この時に立ち上げに関わった農業サークルでは、現在も顧問。そのほか、農業サークルのコンクールの審査員なども引き受けている。

「そろそろ、若い人を支える仕事を増やして行きたいという感覚になっていったんですね。」

JUONの会長に、という話があったのは、ちょうどそんな時期だ。話を持ちかけた田中学前会長は、農業経済学を学んでいた学生時代の助教授でもあった。また、コープとうきょうの理事を務めるなど、生協とのつながりもあった。現在では、協同組合の研究を行う生協総合研究所の理事長を務めている。協同組合や学生の活動などに重きを置いていきたいと考え始めた時だったので、決断は早かった。

JUONの取り組みは、幅広い世代のつながりがユニークであり、森林や農業に関心を持つ若者が多いと実感する機会になっているという。

「長い歴史の中の、ある一コマとしての現代を生きているという感じを強く持つことがありますね。農業、林業に限らず、何十年、何百年と続いていることに若い人が参加するという、貴重な場を提供していると思います。」

もっと活動が広く知られてもよいのでは、と感じる一方、ただメディアへの露出が増えて認知度が上がるのはよいことばかりではないと話す。

「派手に脚光を浴びなくても、同じ思いを持った人とのつながりが大事かなと思いますね。農林業関係の人脈は多少あるので、緑提灯とのタイアップなど、少しずつでもつなぐことができればと。ゆっくり伸びていくくらいがいいんですよ。」

ご自身の活動でも、学生を連れて、耕作放棄された田んぼの稲作を手伝いに行っている。農村コミュニティにおけるNPOの存在について尋ねてみた。

「これからの農村は、決まりだから従いなさい、というのが通用しなくなると思うんですよ。納得の上で参加していくようなシステムに移行していく必要がある。NPOは、村にそうした要素を入れていくことができると思うんです。」

他方で、歴史や制度、言葉など長年刻まれてきた伝統に学ぶべき部分ももちろんある。ただ、過疎化が進むなかで、昔流はいつまでも通用せず、若い人を受け入れる柔軟性が必要になる。そこでNPOの存在が、これまでの共同体の仕組みを考え直すきっかけになる。

幅広い活動フィールドを持つ先生だが、子どもの頃から大の虫好きで、早起きの習慣は虫取りの名残。フィールド調査の体力はサッカーで培ったという文武両道ぶり。鳩ノ巣や御岳などにもよく行っていた。

「まだJUONでは森林作業の現場に行けてないから、そろそろ見に行かないとね。」
 

  • 会長になった2012年6月の総会・記念イベントで講演する生源寺先生。

  • 長野県飯山市の田んぼで学生と。
 
徳田 一絵
JUON NETWORK 2014年 第89号