JUONのあの人: 第15回 勝木健さん

第15回 JUONのあの人
勝木健さん

勝木さんは1955年、兵庫県一宮町(現・宍粟市)東河内の中坪集落に生まれた。高校卒業後、27歳まで姫路で工務店勤務した後中坪に戻り、今では60年代後半に父親が始めた揖保乃糸のそうめん工場を、同じく高校卒業後に戻って来た息子と操業している。
 


JUON関西中国地域ブロックの活動地の一つ兵庫県宍粟市・中坪。JUONが関わり始める際に、現地の自治会の窓口を担っていただいて以来のおつき合いとなるのが勝木健さんです。自治会役員を離れている時も、何かとJUONと役員の橋渡しをして下さっている健さんに、都市住民との交流に寄せる思いを聞きました。
 
 

初めて来る人に、前来た人が学んだことを伝えてもらえたら、ありがたいな。


「うちの親父らも若い時は炭焼きをしとったらしいし、その後林業をやって、九州や島根などに出稼ぎに行ってた。山は僕にとっても身近で、糧であって。だから、炭焼きで生計を立てて子どもを育ててた人がいるうちに、今炭焼きを僕らが覚えなんだら忘れられてまうから、窯を作ろう言いよったんや。」

関西中国地域で毎年開催している「清流の森 森林の楽校」。ここ数年は、夏に実施し2日目を中坪で過ごす。昼食は「なかつぼ ふる里公園」で流しそうめんをしている。その広場に鎮座する炭焼き窯を作ろうと言い出したのが健さんだった。まだ、都市住民との交流が始まる前、2001年のことだ。

かつて農耕牛の放牧地だった場所に作ったので「放遊窯」と名づけたその窯は、今では炭や木酢液を近隣のお祭りなどで販売して、自治会の収入にもしている。PTA主催の、地元小学生向けの毎年夏の炭焼き体験も、既に10回を数えた。また窯ができたことがきっかけとなり、県の補助金をもらって周辺を公園として整備する流れにもつながった。

ほどなくして自治会役員に抜擢された健さん。副農会長をしている時、兵庫県の制度で、都市との交流活動を通じた保全活動のリーダーとして各町で一人選ばれる「ふるさと水と土指導員」にもなった。その会合の折に、県から都市住民との交流をしたい集落の募集があった。すぐに自治会に提案し、自ら県庁に出向くなどの手続きを経て「ふるさとむら」事業への参加が決まった。そこで初代のふるさとむら村長となる。03年、JUONが関わり始める3年前のことだ。

しかし、参加を決めるまで、村内で様々な議論があった。村の人の意識改革が必要だと意義を認める声もある一方、どんな人が来るのか分からないし、役員の負担も増えるという否定的な意見もあった。しかし、やってみると、反対していた人も結局協力的になる。

「芋植え、そば蒔きなどのふるさとむら活動で使う畑は、全部、ここから出ていっちゃった人とかの田んぼを、ふるさと農園として使いよるんですよ。耕作放棄地は草がよう生えるんだけども、自分とこの草刈するだけで精一杯なんで。こんな小さい自治会やで、人手が嬉しいんや。」

県の進めるふるさとむらは、県下43ヶ所にあり、まちの人間は県に会員登録をして、年度初めに今年通う地域をいくつか選ぶ。すると集落から行事の案内が来て、手弁当で作業に参加する。

JUONとの交流が始まる際、既に都市住民の受け入れについていろいろな話をしてきたので抵抗感はなかったと言う。最初は、森林の楽校の受け入れだけだったJUONとの関わり。今では、芋やそばなどのふるさとむらの行事は全て、関西中国地域でも人を募って参加するようになってきた。すると、「ふるさとむら会員」との比較もされる。

中坪のある宍粟市は、兵庫県の右肩(中西部)に位置する。神戸以東から、人によっては京都や大阪からも乗り合わせて来るJUON会員。

「遠いところからこんなところまで来て作業してもろて。ガソリン代も要るしありがたい言うんか。申し訳ない言うんかね。」

そう言ってくれるが、継続して訪れているふるさとむら会員は県西部などの近い方が多いようで、村の人達の作業開始に合わせて集まっている。そんな中に、日の高くなった頃に集まって行くのは分が悪い。また、ふるさとむら会員は、事前に県が刈り払い機の講習を実施しているが、JUONは初めて参加する学生もいるので、森林の楽校の時は動力使用は遠慮させていただいている。それを戦力にならないと言う人もいる。

時には健さんからも厳しい言葉が出る。今年の森林の楽校で地元の方も交えてグループ討論をした際には、こんなことを指摘した。

「初めて来る人で、何すればいいか分からない人なんかがおって、無駄話してるのが目についてしまう。そういうことがないように、前来た人が学んだことを伝えてもらえたら、村の人の印象もよくなってありがたいな。」

そんなJUONに期待するのは若い人の参加を増やすことだ。集落は、現在35軒。実はそのうち約3分の1ほどの世帯に、20〜30代くらいの若い世代がいる。数人は独身者だ。車で40分ほどの宍粟市中心部などへ働きに通っている者も多い。強制的な村普請には出ても、そうではない、そば打ちなどには出る若者は少ない。親から継いだ中坪を次の世代に受け渡すためにも、村の若者にこそ参加して欲しいと思う健さん。

「普段何気なしに見とる景色でも、まちの人が『わぁ、あそこ綺麗やね』言うちゃったら『そない言われたら、綺麗やな』思たりするもんな。そういう交流をJUONの若い子らとできるとええ思うんや。そういう方向にいずれなって欲しいんや。」
 

  • 「清流の森 森林の楽校」では、勝木さんの作ったそうめんを使って流しそうめんをしている。

  • 「清流の森 森林の楽校」での勝木さん。熱く中坪の思いを語る。
 
岩下 広和・大浦 雅士
JUON NETWORK 2013年 第85号