JUONのあの人: 第8回 澤登一治さん

第8回 JUONのあの人
澤登一治さん

一治さんは、1943年茨城県真壁郡真壁町(現・桜川市)に生まれた。 「小学4年生の時には、8反の田んぼの代掻きをしてたよ。小学校の先生の奥さんの実家を手伝いに行っていた。馬が扱えたり、おやつがもらえたりするが楽しみだったな。」
 


「巨峰の丘」と呼ばれる山梨市牧丘町。2005年からJUON初の援農ボランティア「ぶどうの丘 田畑の楽校」が始まりました。森林とぶどうの違いに戸惑いながらの活動を、根気よく一緒に続けて下さっているのが「澤登農園」の澤登一治さん。いつも四方山話で過ぎる活動日の夜、今日はちょっとあらたまったお話を聞かせて下さい!
 
 

お互いに手伝ったり、手伝ってもらったりっていう関係になればいいじゃんな。


「叔父さんが石の仕事をしていて、お弁当を届けに小さい頃から現場に通っていた。だから、中学生の頃には、大人と同じくらい仕事ができたんだよ。」

牧丘でぶどう一筋ウン十年の様に見える一治さんだが、生まれ育ったのは茨城県・旧真壁町。日本有数の石の産地で石材加工業が盛んな町だった。

牧丘を訪れたのは19才の時。叔父さんが新しくできた牧丘の採掘場を任されることになり、その手伝いを頼まれた。3ヶ月の予定が半年に延び、地元で勤めていた会社を辞め、牧丘での石の仕事に本腰を入れることになった。

26才、牧丘で結婚することを決めた一治さん。石の仕事の傍ら、ぶどう作りにも携わるようになった。養蚕業の衰退に伴い、桑畑が果樹園に転作されていった時代。地域を支える次の作物に「ぶどう」を選んだ牧丘だったが、「巨峰の丘」は一朝一夕にできたわけではなかった。

「巨峰というぶどうは、大粒で味がよくて非常に魅力があったんだけど、最初は一房に10個くらいしか粒ができなかったわけ。1キロの化粧箱に7房も8房も入ったんだから。今は一房半くらいで1キロになっちゃうけども。」

当時の巨峰は「花振るい(花が実にならない)、脱粒がひどく、栽培価値がない」とまで言われ、山梨県の奨励品種にも認められなかった。花が咲く頃に房の長さを小さく調節する「房づくり」や、余計な粒を間引く「粒抜き」。今、当たり前のように教わっている方法に辿り着くまでには、たくさんの試行錯誤があった。

「近くに、研究熱心で巨峰栽培の先駆者のおじいさんがいたの。雨が降って石の仕事ができない日は、勝沼にいる有名な先生のところなんかへ運転手を頼まれてね。そういう時、何もわからんからといって車の中にいたりしないで、一緒になって話しを聞く中で、自分が疑問に思ったことを直に質問できたりもして、幸運だったなぁ。」

この粒で完璧な房ができれば地域の大きな魅力になる。そんな農家の情熱で、だんだん量産できるようになった巨峰。「美味しいぶどうを生まれ故郷の皆さんに食べてもらいたい」と、一治さんは茨城の大型スーパーへ販路の開拓を考えた。

「当時14店舗あったお店の1つに飛び込んだの。本社がどこかわからないけど、青果部門の人に聞けば教えてもらえるんじゃないか、なんか伝わるんじゃないかなと思って。そしたら、最初に声をかけた人が2回目にもう社長に会わせてくれてね。」

それから40年、そのスーパーは関東一円170店舗に広がり、9月の初めから10月上旬まで牧丘「中屋出荷組合」の巨峰が販売されている。

一方、一治さんは、10年ほど前から、跡継ぎがなく栽培を続けられなくなった農家の畑を引き受けるようになった。放置されて草が茂った畑は虫・病気の発生源になる。そんな畑が年々増えていく中、長男の澤登浩二さんがJUONの「森林ボランティア青年リーダー養成講座」を受講していた縁で、「ぶどうの丘 田畑の楽校」を始めることになった。

「この地域の老齢化と人手不足の解消のために、お手伝いに来てもらえるという中で、初めての人達に教えるリーダーを養成しておけばいいと思うわけ。俺の解釈としては、農家の通訳。農家の人がこうだって言った場合に意味合いが通じないことがあるじゃんか。」

参加者以前に、JUON事務局自身が農家の気持ちを伝える通訳として力不足だった6年前。毎年の失敗に学びながら、参加者の皆さんの協力で、農繁期の5月〜9月は、ほぼ毎週誰かしらがお手伝いに行くところまでなんとかやってきた。

「手伝ってもらって、こちらがよかったって思うだけじゃダメ。それじゃあ続かないと思うの。自分も提供しないと。皆さんがやりにくかったり、できなかったりっていうことを。お互いに手伝ったり、手伝ってもらったりっていう関係になればいいじゃんな。」

きっと、そんな一治さんの思いがあって、ここまで来れたのだろう。

「毎年もっといい栽培方法はないか考えている」と言う一治さん。この援農だって、もっとすてきな形が目指せるはず。10粒の巨峰が完璧な房になったように。

「自分の畑を持つ、それも地域のお手伝いになるんだ。ぶどうでも、野菜でも、そんなのお金を出せば買えると思うかもしれないけど、自分で作るとまた違うんだぞ。収穫時期に子どもや孫を連れて来て、『すごい、こんなの作れるの』みたいな。休みの日だけではできない部分はこちらで手伝って、そういう喜びを提供できたら、いいなぁと思うよ。」
 

  • ぶどう畑が一面に広がる牧丘の風景は「日本の里100選」にも選ばれた。巨峰は「ぶどうの王様」と呼ばれ、全国の生産量の約70%を巨峰の仲間が占めている。

  • 「ぶどうの丘 田畑の楽校」で、参加者に作業の説明をする一治さん。一治さんのファンになって牧丘に通う人が多い。
 
須田 直菜・日吉 沙絵子
JUON NETWORK 2011年 第77号