JUONのあの人: 第4回 五十嵐道雄さん

第4回 JUONのあの人
五十嵐道雄さん

五十嵐さんは1948年、福島県南会津郡只見町生まれ。趣味の写真はプロ並み。旅が好きで46才から3年かけて北海道を全周した。「生活信条として、融通無碍の心情で生きたい。世のため、自分のためにも。」
 


2010年は、福島県南会津町に注目!障害者施設「あたご共同作業所」では国産間伐材製「樹恩割り箸」の製造開始に向けて準備が進められており、6月12〜13日には第12回総会・記念イベントが開催されます。その立役者が、只見町森林組合に長年勤め、05年から「あたご共同作業所」の理事をされている五十嵐道雄さんです。
 
 

私の少しの踏み出しが皆さんの支援で広がりました。夢は果てません。


「都会生活も必ず自分のためになると思い、19才で東京に出ました。我が家の将来が託されているので、当然進路はどこでも通用する仕事に限定され、土木建設関係の道を選びました。」

都内の工事現場を経験した後、甲府・富士吉田・千葉市内で現場監督の仕事をした。

しかし、家の事情により2年半で只見町に帰り、73年、25才の時に縁あって只見町森林組合に雇われることになった。当時は拡大造林の最盛期。広葉樹の雑木林を、建築材として経済的に価値の高い針葉樹の人工林に置き換えていくことが、政府によって強力に押し進められていた。

「事務所の職員として、事業確保するのが役割。地主さんにスギの植林地にすることを交渉し、県に申請する。『町内の拡大造林500ha』を目標に、町の図面を見ながら、植林地に出来そうな所に当たっていきました。自分が交渉して仕事が増え、図面が変わっていくのは、戦国大名の国取りの様で楽しいものでした。」

その目標もそろそろ達成という頃、拡大造林政策は役目を終え、切り捨て間伐が主な仕事になった。

「木が山に捨てられもったいない、何かに使えないものかと思っていました。間伐の時代が続く中、98年に体調を崩し長期入院しました。自分の生き方を振り返り、考えを変えていこうと誓いました。」

翌年、五十嵐さんは新聞で目に留まったNPO法人地球緑化センターの中国植林ボランティアに参加した。00年春には、同NPOの市民参加による森づくり体験活動「山と緑の協力隊」に誘われ、岩手県岩泉町を訪れた。

「参加者が遠くから自費で来て、連携して丁寧に山仕事をしているのが新鮮で衝撃的でした。森林組合では、自分が県から仕事もらってきて、それを作業員がやる。でも、仕事が忙しく日々雑になって何か違うんじゃないかと思っていました。」

「只見で『山と緑の協力隊』を」と役場・宿泊先の関係者を説得して歩き、01年に開催が実現した。

「約100人が集まった感動は今も忘れません。森林組合の作業員もびっくりしていた。現・南会津町長の湯田さん(当時林業公社の職員)も参加していました。この時、本当に森林ボランティアを広げたいと思い、今10年目になりました。」

五十嵐さんがJUON NETWORKの会員になったのは、03年。森林ボランティア関連の資料を片っ端から集め、興味を持った団体の会員になった。その1つがJUONだった。会誌を見て感覚的に自分に合うと思ったそうだ。

「05年、32年勤めた森林組合を57才で早期退職しました。十分仕事をしたし、世間をゆったり見たい。自分に素直に生きたい。まず日本一周をして、その後は地域に貢献したい、と思っていました。でも、現実はそんなに悠長にはいきませんでした。」

厚生労働省の「若者自立塾」を南会津町で開催することになり、五十嵐さんは塾長を引き受けることに。「若者自立塾」では、若者が集団生活の中で、生活訓練と職業体験を通し就職を目指す。あたご共同作業所に職業体験を受け入れてもらった縁で、五十嵐さんはあたごの理事に就任した。

「理事になってみると、あたご共同作業所も通所生の仕事がなく、トランプをしている状態でした。見かねて、輪切りにした木の枝を磨き、キーホルダーにして売ったりしていました。」

07年3月、全国の森林ボランティアリーダー対象の「グリーン・カレッジ」で重元理事と出会い、JUON会誌で割り箸の記事を読み、あたごで樹恩割り箸をやれないかという思いが膨らんだそうだ。「人が人を呼ぶんですね」と、五十嵐さん。

同年2月に奥さんが脳の病気で倒れており、割り箸どころではないはずだが、五十嵐さんはその思いを絶やさず持ち続けた。08年12月、「南会津町で樹恩割り箸の説明会をやりたい」とJUON事務局に電話があり、翌年2月には実現にこぎ着けた。

「南会津町で工場が2つ潰れて、何十人と失業者が出ました。あたご作業所が割り箸を始めれば人が雇える。一人でも二人でも雇用したい、絶対これをやんなきゃなんないって思ったんです。」

すでに職員2人を採用。今年2月から研修のため、群馬で樹恩割り箸を製造している「エルシーヌ藤ヶ丘」に2ヶ月間派遣するそうだ。

職員2人を面接で決め、3月には職員の意識を高めるため、群馬の樹恩割り箸工場に研修に行った。

「私の少しの踏み出しが、皆さんの支援で思いがけず広がりました。今は割り箸の方が先に進んでいますが、そもそもは交流人口を増やすためにどうしたらいいかと考えていたので、この先は森林の楽校にもつなげていきたい。そして、地域一帯が心豊かに、子どもからお年寄りまで仲良く暮らせる場を提供したい。夢は果てません。」

 

  • 2008年、整備した公園をバックに撮った記念写真。五十嵐さん(右端)を中心に只見町と南会津町で行われる「山と緑の協力隊」は、年4回、10年間続いている。

  • 今年から樹恩割り箸の製造が始まる「あたご共同作業所」の皆さんと五十嵐さん(中央)。
 
須田直菜・田中みと
JUON NETWORK 2010年 第73号