JUONのあの人: 第1回 清水梅夫さん

第1回 JUONのあの人
清水梅夫さん

梅さんは、1943年生まれ。7人兄弟の6番目。32才の時、石積み職人だった父親の後を継ぐことになった。それまでは町工場で働いていたそうだ。20才の頃は羽田にいたこともあった。
 


清水梅夫さんは、長年、石積みや林業を続けてきた山の職人。東京ヤングジュオンの活動をいつも応援してくださっています。初めてあった都会の若者にも気さくに話しかけてくださり、気づけばみんな「梅さん」と親しみをこめて呼んでいます。そんな梅さんに、あらためてお話を聞きたいと、桜の花が咲き始めた東京、奥多摩を訪ねました。
 
 

俺、若者が好きでね。若者が動くってのが社会を動かすんだよ。


「傾斜地をとめるためには、昔は石しかなかった。俺が始めた頃はコンクリも、うんと出て来たけど、親父の時代には一切使わなかった。堰堤(えんてい)って言うんだけどね。東京都の水源の山が崩れるのを止める仕事なんかをしていたんだ。」

奥多摩の山中で石積みを始めた梅さん。石を積んでいると、横で木を伐るチェンソーの音がする。

「ようし、俺にもできるだろう」。自然と林業も生業にするようになっていった。小さな頃から山仕事は暮らしの中にあった。

「子どもの頃は、家の手伝いで山へ薪を拾い行くのが当たり前。木を倒すために、受け口・追い口を入れるなんてことは、ガキ大将が教えてくれたんだ。木は何も捨てるところがなくて、全てを利用していたの。飯を炊くのも風呂を沸かすのも木だった。炬燵は木炭だったでしょ。落ち葉は堆肥にして畑に入れたんだ。スギ・ヒノキの山もきれいに整備されていた。今は、藤が木に巻きついて咲いてたらきれいだねぇなんて言うけど、昔はそれだけ山の持ち主が手入れをしてないってことで笑われたんだよ。木を大事にしていたし、価値があったんだね。ここで生活ができたのも、木の、山の価値があったから。」

しかし、石炭や石油を使うようになり、外国から安い木材が入ってくるようになったことで、日本の山の価値は変わっていった。山村では仕事がなくなり、人が離れ山は荒れていった。梅さんは奥多摩でずっとその変化を見てきた。そして、最近になりヨソから現れた私たち「森林ボランティア」。梅さんの目にはどう映ったのだろうか。

「最初は本当に続くのかよぉって、半信半疑だった。でも、だんだんけっこうやるじゃないかって。みなさんとは別の団体だけど、青梅で山の手入れをしていて、けっこう大勢来るんだよね。山の下刈りって長い鎌を使うでしょ。そのボランティアの人たちは、庭用の短い鎌でやるんだよな。ところが、けっこうね、数の力でやっちゃうんだ。人数っていうのはすごいもんなんだよ。みなさんの山も、山のことをある程度知ってる人が見ると、あれだけ手入れをしてすごいなって思うよ。何人かかってやったんだよって言ったら、そんなの俺なら1人でできるじゃないかって言う人もいるだろうけど。でも、5人、10人かかろうと、続けていることが素晴らしい。コンニャクや饅頭なんか教わったりして、地域にとけ込もうとしてくれていたのも嬉しかった。」

東京ヤングジュオンの活動の一つ「森のクッキング」。山の作業だけでなく地元のみなさんとも交流できればと、2003年から4年間、長寿会女性部のみなさんにお料理を教わった。打ち合わせのため、梅さんのお姉さんのお家に伺った時、登山道の草刈りから帰って来た梅さんにお会いした。翌年から、その草刈りにヤングジュオンもお供するようになった。「鳩ノ巣 森林の楽校」や「森林ボランティア青年リーダー養成講座」への協力をお願いした時は、ふたつ返事で引き受けていただいた。突拍子もなく、時に失礼だったりする私たちのことを、「都会の若い人の考えはそうなんだなぁ」と笑い飛ばしてくれる梅さん。子ども以上に年が離れ、全く違う環境で育った相手に歩み寄ろうとしてくださるその姿勢に、感謝でいっぱいだ。なぜ、こんなにも気にかけてくださるのだろう。

「俺、若者が好きでね。45才で東京土建の役員やらないかって話が来た時、青年対策部ならやるよって言ったの。西多摩支部発足20周年に、青年部で神輿をかつぎたいって話があった。ところが、200万円くらいかかる。組合員が当時3000人くらいだったかな。万灯神輿って言って、周りに提灯がついた神輿なんだけど。その提灯の後ろに名前を入れるから、一本2万5千円でどうだって言ったら集まっちゃったんだ。真剣だと知恵が出るんだよ。俺の好きな言葉で、『いい加減だと愚痴がでる、中途半端はいいわけばかり』って言葉がある。御神輿をかつげた時の、若者のイキイキした姿ってのは目に焼きついてるね。」

「若者が動くってのが社会を動かすんだよ。若者が中心にいて、後ろで適当な助言ができる年配者がいれば、それが最高。俺が66才だ。長くたって10年すりゃなぁ、それ以上無理よってなるじゃん。ところが、若い人は違う。若い人が次の若い人を育てるって姿でないと。山のことも、どうしようもないって嘆くよりもさ。この辺の山の手入れを全部やることはできなくても、千分の一、一万分の一、でもやろうという気持ちが素晴らしい。次の時代はもう少しいい時代になってほしいよ。俺は期待してるからね。みなさんみたいなボランティアに。」

 

  • 2008年7月26日(土)に行われた「鳩ノ巣 森林の楽校」にて、大鎌の使い方をレクチャーする梅さん。

  • 第10期森林ボランティア青年リーダー養成講座4回目の夜、地元で暮らす方の生の声を聞かせていただいた。
 
須田 直菜・田中 みと
JUON NETWORK 2009年 第70号