JUONのあの人: 第39回 川上仙太郎さん

第39回 JUONのあの人
川上仙太郎さん

川上さんは、1947年に兵庫県龍野市(現・たつの市)で生まれた。環境保全の意識の原点は、建築科で学びながら、スポーツ少年団を指導していた高校時代。廃品回収のお手伝いや施設の清掃などのボランティア活動から得た浄財で、団員数分の桜48本を植樹した。現在は、高齢技術者が工事監理する事業会社に所属。「リーダー役になることは多いが、みんなのやりたい方向にうまく持っていく。それが信条。」
 


設立20周年を迎えた今年度は、設立当初から役員を続けている方にお話を伺っていますが、その最後は監事の川上仙太郎さんです。長い間建設業界で活躍され、JUON設立の大きなきっかけとなった、阪神淡路大震災の際の仮設学生寮建設に尽力された川上さんに、当時の様子やこれまでとこれからの思いなどについて、お話を聞きました。
 
 

自然環境を守るというのは、昔から思ってる気持ちですから守らんわけにはいかんでしょう。


「自然環境を守るというのは、昔から思ってる気持ちですから守らんわけにはいかんでしょう。」

「自然環境を守るというのは、僕自身ずっと昔から思ってる気持ちですから。そのなかで生きてるんで、守らんわけにはいかんでしょう。」

兼業農家に生まれた川上さんは、幼少期から山の手入れなどをしていたため、木や森に興味があり、地元の実業高校の建築科に入る。

高校では柔道三昧の日々を送った。部活が終わってからも、町内の小中学生を集めて結成したスポーツ少年団で指導し、兵庫県代表として全国大会に出場したこともある。

高校卒業後は大阪で大手建設会社に就職し、2年後には地元に帰って2人の友達から誘われた小さな建設会社で働くことになった。川上さんは、東京、名古屋、神戸と支店の設立に尽力し、会社は大きく育っていく。

「バブルがはじけて、みんな売り上げが落ちて困ってるじゃないですか。建設業界も仕事がない。だから、お客さんに寄り添える営業マンとして、技術者に営業やってくれや言うて。」

大阪支店長になった川上さんは、困っている取引先の手助けになるようなことをしようと、経験のある技術者を営業担当にした。世間とは逆に売り上げを増やしていくことになる。

そして、会社が順調に伸びていくなか、阪神淡路大震災が起きる。会社のスキー部20名と長野から帰る途中、大阪駅で下車すると、大きな揺れを感じた。

「スキー服を着て完全装備ですから、すぐ助けに回りましてね。それからは、得意先がコープこうべで、生協のたくさんの現場や事業所を預かってたから、救助に行ったり。とにかくお得意さんの救助に走り回りました。」

そのようななか、突然全国大学生活協同組合連合会の常務理事であった小林正美さん(JUON副会長)から電話が入る。被災した学生のため仮設住宅を建てたいが、どのハウスメーカーも相手をしてくれないので力を貸してほしい、との要請だった。生協の店舗設計などで一緒に仕事をしていた友人の太田勝さん(JUON元理事)とともに小林さんと会う。その後、仮設学生寮となる間伐材製ミニハウスの設計者の福家克彦さん(JUON元理事)達と緊急支援の体制をつくり、芦屋のテニスコートの一部を借り受けることができた。ここに建てられたミニハウスは、徳島県三好郡(現・三好市、東みよし町)の林業関係者から提供いただいた、組立式の間伐材製であり、これがJUON設立の大きなきっかけとなる。

ほかにも、コープこうべの土地を、理事長であった竹本成徳さん(JUON元副会長)の協力により貸していただくなど、合計5ヶ所の仮設学生寮が建設された。なお、川上さんは会社に一人専属で大学生協の担当者を置く。

「本社からは、そんなもらえるかどうか分からんもんにって、えらい反対されたけど、いやいや僕を信じや、自分の責任でやりますということで。」

仮設学生寮の建設では、ボランティアでは賄えない外注費などの実費がどうしてもかかる。大学生協が呼びかけた募金が思ったよりも集まり、1〜2年後にその分は回収できたが、二代目の社長とは意見が合わなかった。そして、学生寮の閉鎖と整備を終えた2年後に独立する。同時期に大阪回生病院の理事長から、医療法人化と増改築について相談を受けていた。その仕事を独立しても引き継げることが、退職の後押しとなったという。

その後、高齢化社会の医療・福祉の経済を学んで役に立ちたいと考え、立命館大学経済学部に入学した。途中病気などもあり、足掛け7年で卒業。しかし、その直後、大阪回生病院の理事長が癌のため余命3年であることが判明する。人生の岐路を支えてもらった恩人への恩返しは、経営不安が残る特別養護老人ホームの経営に直接加わることだった。ここは、病院退院後に必要と自ら進言して建設された施設で、その後10年間老人福祉に邁進し、70歳で元の建築士の道に戻る。現在は、「礎(いしずえ)」という一級建築士事務所で、監理の仕事の手伝いをしている。

「JUONにしようかとか、名前をつけるときからやっとったからね。いい名前だと納得して、それでいきましょうと。」

小林さんからJUONをつくりたいと話を持ちかけられた川上さんは、第1回設立準備会から出席し、設立から現在まで監事を務めている。最後に、JUONへの期待を伺った。

「間口を広げていってもらいたいと思う。なんと言うか、教育と言うたらおこがましいけど。広い意味でJUONそのもののPRをやっていってもらいたいと思うわな。息の長いJUONであってほしいと思う。」
 

  • 2015年6月27日「第17回総会・記念イベント」で、学生と話をする川上さん。

  • 1999年6月6日「関西の集い〜古都奈良を訪ねて〜」の際の川上さん。
 
鹿住 貴之・佐々木俊宙
JUON NETWORK 2019年 第109号