JUONのあの人: 第64回 河野義恵さん

第64回 JUONのあの人
河野義恵さん

河野さんは。1955年に千葉県長生郡土睦村(現・睦沢町)に生まれた。東京の大学に入学したことで地元を離れる。文学部だったが、教職課程を履修していたことから、千葉市の中学校の英語の教師となった。81年に結婚し、仕事を続けながら子育てをしていたが、3番目の子どもが生まれる前に、実家に戻り、教員を辞める。その後、茂原市の英語塾に勤め、現在も働く。まっ白い広場の活動に出会ったのは、長く続けたPTA活動がきっかけ。「PTAの仲間から声をかけられて、調理、傾聴、読み聞かせのボランティア、町の介護予防推進委員もやっています。一つ拾ったら、そこから何かもらえて、わらしべ長者みたいなんです(笑)。」
 


2022年からJUONが千葉県の隣り合う大多喜町、睦沢町において、東京ガスグループの支援を受けて実施している「かずさの里プロジェクト」。二つの町で「かずさの里 森林の楽校」などを開催していますが、睦沢町の活動拠点の一つが、プレーパーク・まっ白い広場です。代表の河野義恵さんに活動の経緯や思いについて、お話を伺いました。
 
 

多少の怪我をしても強い子どもになってもらいたい


「本当に魔法のようでした。そのエネルギーたるや、私達が手も足も出なかったところが、1日でこんなにきれいになるものかなって、びっくりしました(笑)。」

子ども達が自由に遊べるまっ白い広場にある杉の人工林。その林床は藪となっていたが、22年に初めて開催した「かずさの里 森林の楽校(睦沢)」で、スッキリと整備された。

まっ白い広場が生まれたのは、千葉県が主催したタウンミーティングがきっかけ。子どもを取り巻く環境の変化、子どもの育ちが危惧されている状況を受け、初代代表の朝比奈時子さんを中心に土睦小学校(現・睦沢小学校)裏に、安心して遊べる広場をオープンした。

当初は、養護児童や障害児が利用の中心だったが、今ではすべての子どもが対象。スタッフが子どもを見守ることで、若いママ達は解放され、ママ友の情報交換の場にもなっている。毎月第2土曜日に開催し、毎回50名程度の子どもや親がやってくる。

「子ども達はのびのびと遊んでますね。木を燃やす、リアカーを引っ張るのも、乗せてもらうのも楽しみ。綱引きを始めたり、竹を切って橋を作ったり。」

プレーパークは、子ども達が自由な想像力で工夫して遊び、そして学ぶ、遊び場で、冒険遊び場とも呼ばれる。日本では1979年に東京・世田谷区に誕生し、現在は全国300ヶ所以上に広がっているそうだ。

「私達の見守りがある安全な場所で、多少の怪我をしても、今度は怪我をしないように自分で気をつけていくような、強い子どもになってもらいたいなっていうのがあります。」

まっ白い広場という名前には、まっ白いキャンバスに子ども達自身で色を染めてほしいという願いが込められている。

河野さんは、高校を卒業して東京の大学に入るまでは、睦沢町で生まれ育った。大学卒業後、千葉市内の中学校の英語教師となり、7年間勤めた後、3番目の末っ子が生まれるタイミングで仕事を辞め、生まれ故郷に帰って来た。3人娘の長女だが、親の希望で夫婦養子として実家に戻ったのだ。

子どもが1歳になる頃、隣の茂原市の英語塾で働き始めた。当初は週1日だったが、勤務日数を増やしながら、現在でもその塾で働いている。PTA活動も長く続けたが、このことが、まっ白い広場にもつながった。

「PTAの仲間から、睦沢町をきれいにする会っていうのがあるんだけど、一緒にやらない?って誘われたんです。川の汚れから水害が起きたことがきっかけで、お母さん達が集ったんですね。」

川の環境改善に取り組んだが、一般の人を巻き込んで活動を広げようと、かずさ緑の会と名称を変更した。この会の主宰者が朝比奈時子さんであり、まっ白い広場の活動に誘われることになる。

最初は、みんなで持ち寄った野菜をカレー鍋にすることが恒例だったが、その手伝いをするようになった。そして、4、5年が経った2014年に代表を代わってほしいとたのまれる。

「本当にみんないい人ばかりで、一緒にいてお話ししてるとね、包み込まれるような優しい人達ばかりなんですね。癒やされるんです。」

活動の主力だった大学生達が、拠点をほかの地域に移したことで、活動が低迷した時期もあったが、河野さんが代表になる前後から、新しい取り組みを始めるようになる。町からの補助金を活用して、ツリーハウスやピザ窯を造ると、次第に集まる子どもが増えるようになった。ツリーハウス造りの中心となったのは、行政一成さん(17年8月1日発行・会誌103号「JUONのあの人」)だ。

「個人ではできなくて、団体だからこそできること、時勢に合わせたことをやる必要があるかなと思っていて。関心のない人にも、社会の課題を知ってもらおう、ということを心がけています。」

JUONでは、22年に日本フィランソロピー協会を通じて、東京ガスグループの「森里海つなぐプロジェクト」の支援を受けることになった。このことをきっかけに、千葉の隣り合う2つの町で同一名称の「かずさの里 森林の楽校」を始める。それは、睦沢町に行政さん、また、群馬から活動の場を大多喜町に移していた石坂哲也さん(13年8月1日発行・会誌87号「JUONのあの人」)の2人のJUON会員がいたお陰だ。

JUONでは、「かずさの里プロジェクト」と名づけ、2つの町での「森林の楽校」の年4回の実施や、まっ白い広場の活動の支援などを行っている。まっ白い広場では、自由に遊ぶことが基本だが、植物観察や正月飾り作りなどのイベントも実施。かつては、広場の脇を流れる瑞沢川でのカヌー体験、鷹匠を呼ぶイベントを行ったこともある。

「すべて子ども達が、見たり聞いたりしたら喜ぶだろうと、自然とのつき合いを知ってもらいたいというスタッフ一同の気持ちの表れですね。」

最後にあらためてJUONについての思いを伺った。

「参加者のエネルギーってすごいなって。ボランティアで人助けに来てくださるんですもんね。そういう方達が日本にいるってことは、日本の未来は明るいなって思います。」
 

  • 2024年7月27日「かずさの里 森林の楽校(睦沢)」では、まっ白い広場について説明していただいた。

  • 2022年12月3日「かずさの里 森林の楽校(睦沢)」の開校式の際の河野さん。
 
遠藤 紗穂里・鹿住 貴之
JUON NETWORK 2025年 第134号