JUONのあの人: 第61回 徳田一絵さん

第61回 JUONのあの人
徳田一絵さん

徳田(現姓・鈴木)さんは、1986年に大阪府大阪市に生まれた。2歳までは東京都杉並区、その後、東村山市で育つ。2011〜15年JUONの常勤職員、19〜24年フィールドディレクターを務めた。絵を描くことが得意で、小学4年生から3年間、漫画クラブに所属。インターン時代やJUON常勤職員の頃は、会誌などのイラストも担当した。兵庫県相生市の祖母の実家は、山と海に囲まれ、子どもの頃にいとこと一緒に遊んだ記憶が、今でも原体験になっているという。「海に入って、そのままの格好で家に帰って。仕事もそういう方面がいいなと。でも理系じゃなかったんで。数学Ⅱ・Bの時点で無理だったんで(笑)。」
 


「森林の楽校」「田畑の楽校」当日に、JUON職員として事務局を担うフィールドディレクター。そのうち、和歌山県那智勝浦町で開催する「熊野の棚田 田畑の楽校」を2019年から担当してきたのが、以前常勤職員でもあった徳田一絵さんです。フィールドディレクターの退任にあたり、これまでの歩みや思いについて話していただきました。
 
 

通いたいなって思える地域や人に出会えたのはありがたい


「大学は環境が学べるところにこだわっていろいろ調べたんですけど、当時は『環境』ってつく学部がそんなになくて、広く学べる社会学部に行きました。」

東京都東村山市で育った徳田さん。子どもの頃、夏休みは兵庫の祖母の田舎で過ごし、近くの海や裏山で遊んでいたと話す。自然に親しみを持っていたなかで、地球温暖化など環境問題を身近に見聞きするようになり、環境保全への意識が高まった。特に大きな影響を受けたのは、1997年のナホトカ号重油流出事故だ。

「生き物がもともと好きだったので、重油流出の映像やニュースは衝撃的で。環境とか生態系とか、ボランティアにも関心を持ったきっかけでした。」

法政大学社会学部に入学し、1年間はインカレの大きなボランティアサークルに参加。2年生の時に、同級生と一緒に環境サークルを立ち上げた。

「学内の環境改善を目的に、ゴミ問題などに取り組みました。ゴミで荒れた場所とか、ゴミ箱の状況などを調査して、マップを作ったりしましたね。」

就職活動は、環境関連の企業に絞り、会社説明会にも足を運んだ。しかし、自分のやりたいことが定まらず悩む。時には最終面接の段階で、将来への違和感から辞退することも。NPOの就職も模索するなか、財団法人損保ジャパン環境財団(現・公益財団法人SOMPO環境財団)が実施する大学生・大学院生を環境団体にインターン生として派遣する「CSOラーニング制度」を知り、応募した。

公益財団法人世界自然保護基金ジャパン(WWFジャパン)で約1年間インターンをすることになり、会報やウェブサイトなどを担当した。そのほか、同期のインターン生とともに様々な有志活動に参加。CSOラーニング制度の派遣先でもあるJUONとの最初の出会いもこの時だ。

「定例会で事務所に行きました。翌年には、有志メンバーでわらじづくりを教わる会を企画して奥多摩に行ったり。ほかにも、別の団体の田んぼの活動にはまって、通いました。」

インターンを終えて2008年に大学を卒業後、法政大学の環境関係の部署に就職。契約社員として、主にISO14001の認証業務に携わった。しかし、事務仕事が多く、契約期間に上限もあり、現場で働きたいという思いが強くなる。そして、11年に東日本大震災が起こり、転職を決める引き金となった。

転職先を探すなかで、JUONの求人募集を見つける。知っていた団体だったこともあり応募し、11年秋から常勤職員として働き始めた。当時、和歌山県那智勝浦町の色川地区でスタートしようとしていた「熊野の棚田 田畑の楽校」を担当することになる。

「田んぼは大好きだったけど、棚田は初めて。作業の大変さ、棚田ならではの先人の工夫とか知恵を知ったのは、すごく衝撃が大きかったですね。」

3年半勤めたJUONは、祖母の介護で大阪に行く必要が出てきたために退職。その後、介護が一段落して東京に戻ってきたが、18年からは木のおもちゃを売る会社の仕事に就く。加えて、木工教室に通い始め、将来副業になればとの思いもあり、自ら木工制作もするようになる。端材や廃材を使用して作った木のおもちゃは、「丹波の森ウッドクラフト展(木のおもちゃ大賞展)」で新人賞に選ばれた。

「木材の加工に目が向いたのは、JUONで日本の森林の現状を知ったから。これだけ森林率が高いのに、どうしたら使っていけるのか?と考えて。」

その後も、色川地区にはプライベートで遊びに行ったり、地域活性化のプロジェクトに関わったり、積極的につながりを持ち続けてきた徳田さん。19年からJUONがフィールドディレクター(非常勤現場職員)制度を始める際に、今の仕事も続けながら、「熊野の棚田 田畑の楽校」を担当することに。再び仕事としてJUONと関わるようになった。

「仕事でなくても通いたいなって思える地域や人に出会えたのはすごい大きいし、ありがたいですね。色川とは今後も個人的に関わっていきたいし、応援していきたいな。」

コロナ禍もあり、現地に行く機会は少なかったが、約5年間勤めたフィールドディレクターを、今年5月の田畑の楽校で引退。22年に結婚していたが、今年から夫の地元である福島県白河市に引っ越したからだ。

JUONで行った東日本大震災の活動以外、東北とは特に縁のなかった徳田さん。出産を控えているが、将来的には地域材の活用など、東北でも活動を行いたいという。

最後に、これからJUONに期待することを伺った。

「全国で活動しているので、各地の魅力を活かした活動を、それこそ、フィールドディレクターにも活躍してもらって、広げてほしいと思います。」
 

  • 2024年5月18日「熊野の棚田 田畑の楽校」は、フィールドディレクターとして参加する最後の回となった。

  • 2008年12月6日東京都奥多摩町で、わらじづくりを教わる徳田さん。
 
遠藤 紗穂里・鹿住 貴之
JUON NETWORK 2024年 第131号