JUONのあの人: 第58回 角掛康弘さん

第58回 JUONのあの人
角掛康弘さん

角掛さんは、1954年に北海道函館市に生まれた。大学卒業後、総合商社に就職し、畜産部に所属。93~96年のアメリカ駐在から帰国後、2000年にヤマキ醸造株式会社に入社。株式会社ヤマキ専務取締役を勤めた後、2018年からは非常勤のシニアアドバイザーとなった。2018年には『元商社マンが辿りついた有機農業ものづくり―おいしい空気 おいしい水が生む伝統の製品―』(まつやま書房)を出版。子どもの頃から見ていないことを見てみたいという思いが強かった。「小学生の時、鉄道線路をどこまで行けるか行ってみようと、真っ暗になって焦って、知らない人にお世話になりました(笑)。」
 


「神の泉 森林の楽校」を開催する埼玉県神川町に本社を置く、ヤマキ醸造グループ。販売する飲料水「神泉水(かみいずみすい)」のラベルには、「JUON NETWORKの会員として森林保全活動に協賛しています」と書かれています。設立間もない頃から活動に参加し、JUONの窓口となっていただいてきたのが、角掛康弘さんです。現在は株式会社ヤマキのシニアアドバイザーとなっている角掛さんにお話を伺いました。
 
 

水って何が創ってくれるのかって、やっぱり森。


 「東日本大震災など地震が起こると水を送っているんですけどね、災害時に一番困るのがお水。水の 事業は正直全く儲からないんですけれど(笑)、やり続けなくちゃいけない。じゃあ、水って何が創ってくれるのかって、やっぱり森なんですよね。」

 ヤマキ醸造グループのルーツは1902年。国産有機・特別栽培原料を名水で仕込み、添加物を使用せずに、昔ながらの木桶を使用した伝統の醸造法により味噌や醤油造りを行っている。

91年には、名水を求めて神泉村(現・神川町)に豆腐工場を建設。数年後には、埼玉県本庄市から本社を神泉に移転した。

「JUONは、自分がやりたいことを実践している組織でもあり、いい出会いだったと思っています。森、水、畑と、食の連鎖にも関わっていて、次の時代につながっていく。知っていただく機会がもっとあればいいなと。」

「神泉水」には、数年前からJUONの会員であることを表記した。本社に併設する店舗では、「樹恩割り箸」も使っていただいているが、取り組みをアピールしようと、メッセージも添えている。

角掛さんは大学卒業後、北海道から上京して、総合商社に就職。海外で仕事をしたいという思いが強かった。親戚に外国航路の船長がいた影響もあるという。仕事では偶然、肉を扱う畜産部に所属することになった。93年から96年には念願の海外駐在が叶い、アメリカに家族とともに住んだのは、牛肉輸入自由化の直後だった。

「日本市場で、ファミリーレストランとか外食産業がすごく伸びていた時です。海外から安くて美味しい牛肉を入れたいということで、私はまさにその真っ只中にアメリカにいて。」

担当するアメリカ、カナダの牧場や食肉処理施設に足繁く通い、月の半分はロサンゼルスの自宅には帰らない日々を過ごす。日本からも毎週のようにたくさんの企業などが来て案内した。

帰国後、畜産部で中間管理職として働いていたが、屠殺される直前の牛や豚の姿を忘れることができず、少し違った仕事の道もあるのではないかと考え始めていた。そのようななか、仕事の延長線上で、たまたまヤマキを知ることになった。

「一回社長に誘われて、遊びに行って。そこで食べたものがめちゃめちゃうまかった。作っているものも原材料もシンプルで、全て国産。味噌とか醤油とか作るのにまあ、時間がかかるものが多い。」

角掛さんには、中山間地の神泉が桃源郷のように感じられ、アメリカの大平原で何千頭という牛が柵で囲われ、機械的に肉に処理されていく工場のオペレーションとは対極だと思った。何度か仕事とは関係なく遊びにいくうちに、働かないかと請われることになる。

「オーガニックだったことも魅力でした。住んでいたカリフォルニア州は、環境保全のムーブメントが全米でも一番早い地域なんですね。ヨセミテ国立公園、セコイヤ国立公園にも行って、環境マインドも育まれて。オーガニックレストランの老舗シェパニーズもありましたし。」

仕事仲間に恵まれ、自由に仕事をさせてもらい、やりがいもあったが、思い切って45歳で転職。日本でも環境に配慮しているものが広がっていくのではないかと、アメリカで感じたこともあった。子ども達は中高生で転校が難しい年齢、東京の自宅から通うこともできなくはなかったが、腰を据えてその地域に住まなければ、いい仕事はできないと、単身赴任を選んだ。

統括マネージャーとして入社し、主に営業部門を担当した。新しく取り組んだのは、顧客との交流だ。

「時代が変わって、作っている現場を見たい。どうやってこの商品ができているのか知りたい。生産現場に来てもらうのは絶対にプラスになると。」

来てもらうためには、神泉のことを知らなくてはいけないと、週末はほとんど家に帰らず、車で村中を全部回った。また、役場にもよく行き、その時に対応してくれたのが、助役だった石井清允さん(2015年5月1日発行・会誌94号「JUONのあの人」)だ。JUONについても紹介された。

「村長とも気楽に話をさせていただいて、村がどういう気持ちでいるのか、村の特色を知ろう。こんなに魅力があるなら、うちのお客さんを通じてアピールしていけばいいんだなと。」

一番関心を示してくれるだろうと地元埼玉の生活協同組合に働きかける。大豆トラスト運動も始めた。また、自分自身でも勉強しなくてはいけないと、第1回「エコサーバー検定」も受験。その後、「森林の楽校」にも度々参加していただいている。

最後に改めてJUONに対する期待を伺った。

「発信力の強さが活動のエネルギーになるような気がしていて。ヤマキでもそうなんですが、地域で起こっていることを発信していく努力は絶対必要だなと。JUONの名前とか活動をもっと知らしめてほしいなと思います。」
 

  • 2013年7月13日「神の泉 森林の楽校」の作業後には、参加者と交流を深めた。

  • 2008年7月12日「神の泉 森林の楽校」で、下草刈りをする角掛さん。
 
鹿住 貴之
JUON NETWORK 2023年 第128号