第53回 JUONのあの人
長本朝子さん
長本さんは、1947年に和歌山県海草郡下津町(現・海南市)で生まれた。2001〜21年度 JUONの理事を務める。子どもの頃から、勉強もスポーツも好きで、中学では女子で初めて生徒会長も務めた。部活はテニス部と家庭科部で文武両道。また、絵や漫画を描くのも大好きだった。「小学校の時は、休憩時間になると漫画を描いて、みんなが机を取り囲んで見てたかな。」
長本朝子さん
長本さんは、1947年に和歌山県海草郡下津町(現・海南市)で生まれた。2001〜21年度 JUONの理事を務める。子どもの頃から、勉強もスポーツも好きで、中学では女子で初めて生徒会長も務めた。部活はテニス部と家庭科部で文武両道。また、絵や漫画を描くのも大好きだった。「小学校の時は、休憩時間になると漫画を描いて、みんなが机を取り囲んで見てたかな。」
香川県さぬき市で2003年から開催している「さぬきの森 森林の楽校」。その運営を中心的に担ってきたのが先日の総会で理事を退任された長本朝子さんです。JUON設立のきっかけの一つである阪神淡路大震災での仮設学生寮建設に貢献し、その後も環境保全に取り組み続けてきた長本さんにお話を伺いました。
自然の生態系を崩すようなことはしたらいけない
「中学校の時、校長先生が自宅まで来られて、子どもさんを芸大に行かせしてあげて下さいって言ってくれたんです。」
小さい時から絵を描くのが好きだった長本さんは、この後押しもあって、東京芸術大学を目指す。現役では不合格で、浪人するも再受験はせず、大阪で就職。しかし、絵は描きたいと、デッサン教室に通う。
そこで夫と出会い結婚。夫の実家がある香川県丸亀市の島、本島で半年ほど過ごした後、高松市に移り住んだ。子育てをしながら、造園の通信教育を受け、造園設計の仕事をする。地元の造園会社から頼まれ、庭のイメージ図や設計図を描き、次々と採用された。その後、別の造園設計事務所を通じて高松市中央公園も手伝う。
「その時はまだ建築士ではなかったから、トイレは外部に委託したんですよ。できたトイレを見たら、イメージが違いすぎて。それで建築を勉強し始めたんです。」
ちょうどその頃、仕事を通じて知り合った建築事務所から誘いを受けた。大阪にある福家克彦さん(JUON元理事)が代表取締役を務める、株式会社慧匠社建築研究所の四国事務所で働くことになる。
取引先の挨拶回りのなかで、取り組みたいと思っていたトイレ設置の話があった。小豆島の景勝地の寒霞渓(かんかけい)だ。二級建築士を取りながらではあったが、トイレ百選のトップに選ばれる。
次の仕事として、知り合いの彫刻家の作品が設置された場所にトイレを作りたいという話があった。その大内町(現・東かがわ市)を訪ねると、父親の出身地だったいう縁もあってか、大きな仕事を任されることに。ヨーロッパの街並をミニチュアで再現したり、人形劇場があったりする子ども公園や、運動公園などを設計する、「ふるさと創生」を活用した事業だった。
「その後その公園に、阪神淡路の仮設学生寮の元になった間伐材製ミニハウスを設置したんです。正月の挨拶に山城町に行って、子ども用のミニハウスとして販売を進めましょうと話していたら、すぐ後に震災が起きて。」
1995年阪神淡路大震災の少し前から、慧匠社建築研究所では、間伐材利用を進められないかと調査を進めていた。香川県の林業生産高は少なく、つてをたどって徳島県庁にも訪問。ログハウスを造っていた山城町森林組合(現・三好西部森林組合)を紹介された。そして、子どもが遊べる小屋を協働で設計。そのモデルを公園に設置した直後に、阪神淡路大震災が起きたのだ。
「3畳タイプだったミニハウスを、仮設住宅にするために6畳タイプにデザイン変更して。大阪の事務所の人とも分担して図面を描きました。」
その後、芦屋市のテニスコートに58棟の間伐材製ミニハウスが仮設学生寮として、大学生協に提供される。そして、98年JUONが設立された。
その年に徳島で開催された「四国のへそ 森林の楽校」をはじめ、JUONの活動に参加していく。2001年には、香川県で戦後植林した木の活用推進の話が持ち上がり、林業家が集まる協議会に呼ばれ、田中政晴さん(2012年11月1日発行・会誌84号「JUONのあの人」)と出会う。意気投合した長本さんは、女性の建築士仲間を集めて、田中さんとともに香川ベンチの会を立ち上げた。
「イギリスでは自分の記念日に、好きなところにベンチを贈って、プレートをつけて置いているというのを知ったんですよ。間伐のメッセージと贈り主が分かるプレートをつけて置いたらどうやと。」
間伐材を使ったベンチ製作のほかに、幼児用イスの木工教室などを開催。活動の広報チラシは、広告デザイナーの夫に頼んだ。そして、03年からはベンチの会が中心となり、「さぬきの森 森林の楽校」もスタート。20年度でベンチの会は活動を終了したが、森林の楽校はこれからも継続する。これまで、実に多くの香川の間伐材が、多くの子ども達のために使われてきた。
現在は、亡くなった夫の出身地、本島でギャラリー&カフェ吾亦紅(われもこう)を営みながら、竹林整備や地域の活性化を願い、JUONの活動も支える。最後に長本さんの原点や思いを尋ねた。
「私が幼稚園児だった頃、園長だったお寺の住職の影響が、今にして思えば大きかったかな。ある日、園長先生は私達幼児を膝に乗せて、お釈迦様の話を聞かせてくれました。小鳥を食べようとした鷲に、自分の腿肉を食べさせて、命を守ったという話を今も覚えてる(笑)。生類を哀れむというようなことを、子どもの頃から、意識してましたね。自然の生態系を崩すようなことはしたらあかん。空気も水も土も大事だなと、総合的に自然環境を学び続けなきゃいかんなと思いますね。」
2017年9月23日第1期「森林ボランティア青年リーダー養成講座 in四国」の受講生と活動後に記念撮影。
2015年9月27日「さぬきの森 森林の楽校」で、香川ベンチの会の取り組みを説明する長本さん。
遠藤 紗穂里・鹿住 貴之
JUON NETWORK 2022年 第123号
JUON NETWORK 2022年 第123号