第52回 JUONのあの人
加登松樹さん
加登さんは、1962年に大阪府大阪市に生まれた。アメリカのコーネル大学で会計学を学んだ後、帰国して会計事務所や保険会社で働くが、30代で林業の道に転職。幼稚園の頃から剣道を習い、中学、高校では個人戦の大阪府代表となる。高校の府大会決勝ではPL学園に勝って新聞に載るなど、昔から並々ならぬ体力で驚かれていた。「子どもの時から、バケモンやったと思います。みんなにそう言われてましたから(笑)。」
加登松樹さん
加登さんは、1962年に大阪府大阪市に生まれた。アメリカのコーネル大学で会計学を学んだ後、帰国して会計事務所や保険会社で働くが、30代で林業の道に転職。幼稚園の頃から剣道を習い、中学、高校では個人戦の大阪府代表となる。高校の府大会決勝ではPL学園に勝って新聞に載るなど、昔から並々ならぬ体力で驚かれていた。「子どもの時から、バケモンやったと思います。みんなにそう言われてましたから(笑)。」
2021年から福井県越前市で始まった「おしっさまの里 森林の楽校」。その提案者であり、講師を務めていただいているのが、山海舎越前の代表である加登松樹さんです。「風の谷 森林の楽校」のリピーターでもあり、海を守るために林業を続けてきた加登さんに、これまでの歩みや森林の楽校に込める思いについて、語っていただきました。
海を元気にするために、山へ入りました。
「越前海岸では毎年、サッカーグラウンド3枚分ぐらいがどんどん磯焼けになってきてて。うわぁ〜なんじゃこれと思って、すっごいショックで。」
初めてスキューバダイビングの講習で潜った海が越前海岸だったという加登さん。その10年ほど後に再び潜った時、海藻や魚でいっぱいだった海が、石ばかりの磯焼けになっていた。
加登さんは、アメリカの大学を卒業後、大阪の会計事務所に就職。年間120日は海外出張という生活を送り、休みはまとまった長期休暇となる。そこで始めたのが、スキューバダイビング。ライセンスを取るほどになり、海外滞在時には日本からのツアーも受け入れた。
そのようななかで、長期の海外出張中に母親が交通事故で亡くなる。しかし、知ったのは、帰国後。仕事は面白かったが、何のための仕事なのかと思い悩み、退職した。次の仕事は、出張や転勤のない職場と考えての転職だったが、過去の経歴を買われ、図らずも東京で働くことになってしまう。関西方面に戻ることを懇願し、2年でたまたま妻の実家に近い福井県武生市(現・越前市)に転勤となった。しかし、次の転勤先の話が持ち上がったところで、再び退職を決めた。
「転勤族って、こんなんがずっと続くんかと。その時もまた思ったんです。やっぱ家族や。子どもが小学校でね。3回も4回も転勤するとかあかんわと思って。」
次の仕事は、前職で関係した国際規格であるISOの審査員になることに決め、資格取得を目指すことにした。その間の収入源として、シフトの融通が利きやすいという理由から林業会社でアルバイトをすることになる。
「会社のおじいさんが、本当に山のこと、何でも知ってる。初めて行った日に、木倒してみるか?言うて。山の仕事が面白くてね、うおぉ〜って感じになって、一気に魅了されてしまって。」
林業を2年間続け、目標だった資格を取得する。しかし、ISO審査員として働くようになっても、林業のことが頭から離れなかった。
「やっぱね、思い出すんですよ。あぁ、今頃10時のタバコ休憩やなとか、暑いやろなぁ今日とか。離れられへんのですよ。」
そのような夏の日、暑いから海に行こうと潜った越前海岸で、磯焼けを目にしたのだった。理由を調べると、山が荒れて保水能力がなくなっていることが原因だと分かる。そこで、それまでも妻の実家の山の整備は多少していたが、休日は、かつてのアルバイト先に頼んで、山へ入り林業を学ばせてもらうことにした。また、インターネットでJUONを見つけ、「そばの里 森林の楽校」(富山)に参加。森づくりの技術を取得していった。伐採の腕も上達してきた頃、林業会社の年配社員から、専門の技術が学べる実力のある会社に行った方がよいと助言を受ける。
そして、林業会社に就職することになるが、これまでとは違う厳しい指導に、辛い思いをしながら気を張って山仕事に取り組んでいた。1〜2年が経ち、最初の楽しい感覚を取り戻したいと、リフレッシュを兼ねて再びJUONの活動に参加。「風の谷 森林の楽校」(岐阜)だった。
「やっぱ新鮮だったんですよ。木伐ってね、倒れるところに女の子らがうわぁ〜!言うて喜んでいるのを見て。あぁ俺も、あんなやったなとか。」
現在も、時には指導者になりながら、可能な限り参加を続けている。なお、8年勤めた後に林業会社を退職し、独立した。培ってきた技術を活かして、特殊伐採も行っている。そして、地元でも実施したいと昨年から森林の楽校をスタート。今年度は3回の開催を予定している。
「本当の林業の仕事を見てもらって、ボランティアと仕事の違いっていうのも、ある程度分かってもらわな。僕でないとできへん知識の上乗せができればとも思っています。」
環境保全だけで終わらせず、木の利用方法を考え、商品にするところまでの過程を知ってほしいと、活動に思いを込める。
「山でよい体験をしに来てもらいたい。通り一辺倒の作業をするだけじゃなくて、帰った時に、これはこういうことなんやって、ちょっと気づきがあれば。それで、山に関心を持ってもらえれば、非常に嬉しいなぁ。」
加登さんが山に入る時、思い出すのはあの日の越前海岸だ。
「やっぱり海が好きなんですよ。今でも基本的にはダイバーやと思ってる。ただし、ダイバーが海潜らんでも海に対してできることっていうのを、いつも忘れんようにしてます。海を元気にするために、僕は山へ入りましたから。」
2021年11月27日「おしっさまの里 森林の楽校」で作業説明をする加登さん。
2011年10月15日初めて参加した「そばの里 森林の楽校」で一緒に参加した学生と記念撮影。
遠藤 紗穂里・鹿住 貴之
JUON NETWORK 2022年 第122号
JUON NETWORK 2022年 第122号