JUONのあの人: 第51回 飯島幸三郎さん

第51回 JUONのあの人
飯島幸三郎さん

飯島さんは、1950年に千葉県船橋市に生まれた。両親が、戦後食いっぱぐれのない仕事をという思いで農業を始め、受け継いだ。キャンプが大好きで、自分の子どもにもキャンプを体験させたいと、子ども劇場と出会う。その縁で、農業体験を受け入れるようになった。「野山で生まれ育って、働いているからか、海に憧れがあってね。1級小型船舶免許を持ってます(笑)。」
 


関東甲信越地域ブロックにおいて、コロナ禍の2020年7月から千葉県船橋市で毎月開催している援農ボランティア活動。その受け入れ先である飯島農園で農業を営んでいるのが飯島幸三郎さんです。農薬を使わない農業にこだわり、市民と一緒に地域の農業を支えてきた飯島さんに、農業に込める思いやこれまでとこれからについて、話していただきました。
 
 

農業をなくしてね、どうして国が成り立とうか。


「この農業、本気になってやるべ!なんて思ったのは、もう40歳ぐらいで。」

親が初代として始めた千葉県船橋市豊富町にある畑で、子どもの頃から日常的に農作業のお手伝いをしてきた飯島さん。しかし、農業は長男が跡を継ぐと言われ、三男だったために、高校卒業後は外に勤めに出ていた。

「お前は外で飯食えということで、若い時は全然農業の勉強してなかった。朝から晩まで働いてもなかなか儲からない農業っていうのは、やりたくないみたいな。若い時はそういう考えでしたね。」

ところが、長男は外へ働きに出るようになり、加えて父親が大病を煩ったことで、人手が必要に。勤めていた会社を一時休業し、その後は兼業で農業を始めることになった。27歳で結婚して子どもができると、生計を立てるために一層と農業に力を入れ始める。

「畑や田んぼで単なる野菜と米を作って売るだけじゃなくて、違う価値観があることをだんだん知らされてきたんですよ。農業をなくしてね、どうして国が成り立とうかと。輸入もどんどん増えてきて、食料を支える農家が儲かんないってどうなんのか、みたいな気持ちがだんだん強くなって。」

最初は農業を続けていくことは考えていなかった飯島さんだが、消費者との交流や勉強を通して、農業に対する課題感や当事者意識を強く持つようになる。本気で農業に取り組むことを決意したのは、40歳の頃だ。

「親が一生懸命やってきたこれを継がないじゃ、もったいねぇなぁみたいな気持ちで。農業農家がなんとかなんなきゃって思ってたから、命と財産かけて取っ組むみたいなことになりましたわ。」

2000年に、7人の生産者で1975年に設立した船橋農産物供給センターの代表理事になってからは、更にその思いは強まる。

当時、市内の消費者達が、食の安心安全を求めて共同購入を模索していた。その方々との取引や交流が始まり、消費者グループは生活協同組合を、生産者グループは農事組合法人を設立。消費者と生産者が一緒になって、食の安全性の確保や流通の簡素化に向けて工夫を凝らし、規模を拡大していく。

なお、親族に癌が多く、農薬についても問題意識を持っていたが、84年インド・ボパールの農薬工場で爆発事故が起きた。猛毒ガスの曝露により数十万人の規模の死傷者が出て、未だ健康被害は続いている。

「次の年から、もう農薬を使わないって決め込んで。経営的には大変だったんですけど、やっぱり健康と環境に配慮する持続可能な世界って考えると、なおさらこれは価値だなというふうに思ってますわ。」

農薬を使わなくなったことで、雑草処理の大変さは増し、時には近隣から変わり者扱いされることもあったが、貫き通している。消費者との交流も増え、コミュニケーションを取るなかで学びを得ていった飯島さん。今度は、農業や食料確保の重要性について消費者に伝えていきたいと、多様な交流企画の開催を始める。農業体験や、視察会、竹林コンサートなど、様々なイベントを企画しては、啓発活動を行ってきた。

「日本の国は、いつでも美味しいものいっぱい来るんだけど、自給率の低さね。それから今、日本の就農平均年齢が67歳ぐらいでしょ。これは食料の危機ですよね。農家側から『今危機ですよ』ということを消費者に分かってもらいたい。畑や田んぼに来ていろいろ楽しんでもらいながら、実情を市民に知ってもらいたいなと。」

交流企画の一つとして実施していた「コルベジ」(農業体験農園)に、JUONの会員が参加していたこともきっかけとなり、飯島農園での月1回の関東甲信越地域ブロック主催「農業体験&竹林整備」が昨年度からスタートした。もともとNPOに理解があり、複数の団体との関わりも持っていた飯島さんは、すぐにボランティアの受け入れを承諾。

「ぜひ農業にちょっとでも触れてほしいなと。こういう状況を知ってもらって、その上で自分の力を活かすきっかけになれば。1年以上やるなかで私も勉強になったし、活き活きしてる皆さんの姿を見てよかったなって。この積み重ねの上でもっといろいろやれるって思っています。」

今後は、交流のなかで農業の担い手を増やし、政策的な仕組みの改善などにも取り組んでいきたいと語る。健康の土台となる食べ物、安心安全な食料を確実に確保し、市民皆がお互いに生きていく未来をつくっていきたいと思いを込める。

「そう言いながら自分がコケてはいけませんわね。自分自身が健康でいるために、一生懸命安心な野菜を食べ、その結果元気でいられる、そういう正真正銘のセールスマンでなきゃいけねぇな。」

 

  • 2021年12月4日JUONの仲介で、早稲田大学の学生サークルの活動を受け入れた。

  • 2020年8月9日関東甲信越地域ブロック「オクラの収穫体験&竹林体験」で作業の説明をする飯島さん。
 
遠藤 紗穂里・鹿住 貴之
JUON NETWORK 2021年 第121号