JUONのあの人: 第50回 大内忠治さん

第50回 JUONのあの人
大内忠治さん

大内さんは、1956年に徳島県三好郡山城町(現・三好市)に生まれた。農家で育ち、子どもの時から農林業に携わり、三好農林高校卒業後は、山城町役場に就職。青年会、消防団でも活動し、キャンプなどで大人数の食事を作ってきた経験から料理が得意になった。JUONの活動でも調理を担当。「大人数の食事を仕方なくやっていたこともあるけど、作ることが好きで。山にあるもの、海にあるものを美味しく食べたいんです(笑)。」
 


「四国のへそ 森林の楽校」「森林ボランティア青年リーダー養成講座in四国」で、重機の操縦など林業体験を受け入れていただいている株式会社山城もくもく。その代表取締役社長を務めるのが大内忠治さんです。生まれ育った地で林業を支え続けてきた大内さんに、これまでの歩みや思い、後継者育成の今後の展望について、お話を聞きました。
 
 

戦後植林したスギ、ヒノキを、地域の活性化につなげたい。


「小さい頃、畑でタバコを作ってましたから、その手伝いとかね。農閑期は山の仕事の手伝いもよくやりました。」

徳島県三好郡山城町(現・三好市)で生まれた大内さん。家は、山に囲まれた標高400メートルほどの場所。農家で、農林業を身近に見て育ってきたため、林業の道に進んだことは自然な流れだったと話す。三好にある農林高校の林業科に入学し、卒業後は山城町の役場に就職した。

 「農林業は嫌いというわけではなかったですね。下に女2人の長男なんで、はっきりと言われたわけではなかったけど、役場へ入って家を継げ、というような感じで。」

当時は、学校を卒業すると、都会の会社へ就職する人が多かったそうだが、1973年のオイルショック以降は、大卒者も役場に入るようになった。ちょうどその直前に働き始めた大内さんは、その後、後輩が入ってきても、3〜4年は1番若かったという。

「高校で、測量という授業があって、好きだったというか、得意だったので、先生から『測量士補』の試験を勧められて。受けたら通っちゃった(笑)。」

測量士補の資格があったことから、役場では、最初に建設課に配属される。公共事業の建設計画や、農道・林道の実施などといったハード事業に10年間携わった。

そして、97年に、林業労働者の育成を図ることを目的に、山城町が出資して、株式会社山城もくもくが設立される。

「西徹町長(JUON元理事)が、『山城町は山ばっかり。これからは林業の後継者を確保して育てなんだらいかんぞ。』と言ったことが始まりなんですよ。」

当時、農林業関係の担当をしていた大内さんは、このことを森林組合に話しに行った。しかし、山の木を伐ることはできても、学校の先生のように全然知らない若者に林業を教えることは森林組合では難しく、第三セクター方式によって林業会社をつくり、後継者を育成することになる。その経営者を探したが、適任者が見つからず、結果的に大内さんが出向して専務を担うことになった。

「全国から募集して、10人から出発しました。ほとんどが山の仕事に携わったことがない人で、山城町内の林業をやってたOB、5人に指導員として入ってもらって。一緒に仕事をしながら、指導してもらう体制をとったんです。」

専務として、研修の計画作りや段取りで一心不乱に走り回った。また、森林組合から国産材のパネル工場なども引き継いだ。

森林組合の元職員に経営者を引き継ぎ、3年の任期を経て役場に戻る。その後、山城町は合併して、三好市に。山城もくもくは、後継者を探す時期になっていたが、見つかっていなかった。当時、林業振興課長だった大内さんは、経営を離れた13年後の2014年、早期退職して、再び山城もくもくに戻り、代表取締役社長に就任することになる。

山城もくもくが立ち上がってすぐに、JUONは設立されたが、当時は役場職員として、設立の準備に関わった。現在は会員として、「四国のへそ 森林の楽校」「森林ボランティア青年リーダー養成講座in四国」の受け入れをしていただいている。

「今の若い方は、都会のコンクリートの部屋で生まれて、育ったというようなことで、農林漁業の経験がないだろうなと思いますね。ですから、少し長期に滞在して体験することで詳しく知ってもらえたらいいんかなと。自然を大事にとか、地球温暖化とかは分かってるんでしょうけど、実際に実践するためには色々な問題があるんじゃっていうところを知ってもらいたいですね。」

JUONが、都会または若い人と農山村地域とのパイプ役になってくれたらありがたいと期待する。

なお、後継者育成は次の段階に入っていると話す。今後は、林業の技術だけでなく、都会とは違う田舎での暮らし方も含めた育成体制の整備が課題だ。16年に開学した、とくしま林業アカデミーや他団体と連携を取りながら、林業後継者の確保、育成への試みは続く。

山城もくもく設立時に、西町長と話したことが頭に残っているという。

「戦後植林したスギ、ヒノキがもう50年、60年。爺ちゃん、婆ちゃんが2000メートルの山へ苗木を背負い上げて植林して、父ちゃん、母ちゃんが下刈りとか間伐して育てた。今それを、地域の活性化につなげたい。どうやったらいいんかなって。一緒にやってくれる後継者がどんどん増えてくれたらありがたい。それに協力できることは、これからもずっとやっていきたいなと思ってます。」
 

  • 2018年8月4日「樹恩割り箸20周年記念式典・イベント」では、パネルディスカッションに出演した。

  • 2017年11月25日「第1期森林ボランティア青年リーダー養成講座 in四国」の第3回で講義をする大内さん。
 
遠藤 紗穂里・鹿住 貴之
JUON NETWORK 2021年 第120号