第48回 JUONのあの人
長岡均さん
長岡さんは、1957年に埼玉県熊谷市に生まれた。大学卒業後7年間、地元の信用金庫に勤める。叔父が体調を崩したことをきっかけに、江南町(現・熊谷市)に設立した江南愛の家で施設長として働くことになった。2010〜19年度JUONの理事も務める。子どもの頃は、習いごと三昧。体は小さかった。「小学1年から中学2年まで背の順は一番前。ちっちゃくてみんなにかわいがってもらいました(笑)。」
長岡均さん
長岡さんは、1957年に埼玉県熊谷市に生まれた。大学卒業後7年間、地元の信用金庫に勤める。叔父が体調を崩したことをきっかけに、江南町(現・熊谷市)に設立した江南愛の家で施設長として働くことになった。2010〜19年度JUONの理事も務める。子どもの頃は、習いごと三昧。体は小さかった。「小学1年から中学2年まで背の順は一番前。ちっちゃくてみんなにかわいがってもらいました(笑)。」
2番目の工場として、2003年から「樹恩割り箸」を製造している埼玉県熊谷市にある江南愛の家。重度の知的障害者が暮らす入所施設です。その施設長で、社会福祉法人埼玉県ブルーバードホームの理事長でもいらっしゃるのが長岡均さんです。割り箸製造に関わるまでの歩みとこれからについて、お話を伺いました。
福祉って、みんなが幸せになること。
「叔父さんから私の親に相談があったんです。後を継いでくれと言われて、結構悩みましたね。」
生まれも育ちも埼玉県熊谷市で、大学卒業後、地元の信用金庫で働いていた長岡さんは、叔父が設立した江南愛の家に請われる。大学は商学部で、全くの畑違いの転職話だ。
叔父は、生まれつきの全盲で、鍼灸師として働いてきた。そして、埼玉県内にある点字図書館は1ヶ所で、県北にはなかったことから、埼玉県立熊谷点字図書館の設立に尽力。1978年に社会福祉法人埼玉県ブルーバードホームを立ち上げ、運営を受託する。その後、83年に視覚と知的の障害を併せ持つ、当時最も支援が行き届いていなかった障害者の支援をしたいと江南愛の家を設立した。
「盲学校の先生から『目が見えなくて、知的障害のある人達の行き場はない。鍼灸師にもなれない。』と。その一言がきっかけだそうです。こんこんと聞かされましたよ。」
しかし、その2年後、叔父は施設を増築する最中、体調を崩してしまう。そこで、従兄弟のなかで最年長ということもあったのか、長岡さんに白羽の矢が立つ。29歳で施設長として、働き始めた。
「職員によくいじめられましたね。江南愛の家の『愛』は、キリスト教の惜しみなく与える『愛』なんですが、きっとそれだったんだと思います(笑)。」
福祉のことを全く知らなかったため、必死に勉強した。通信教育を受け、法律についても学んだ。転職して給料も下がり、休ませてももらえず、しかも、子どもが生まれたばかりで、本当に大変だったと振り返る。残念ながら、叔父は88年に亡くなり、長岡さんは社会福祉法人の理事長職も兼務することになる。
そして、働いてから20年が近づいてきた頃、樹恩割り箸の話が舞い込んだ。第二工場を検討していたJUONでは、つてをたどって埼玉にある障害者施設に相談していた。以前、竹の割り箸を製造していた経験もあり、木工に取り組んでいたところだったが、取り組むことにはならず、すぐ近くにあった江南愛の家に話が持ち込まれる。
「ちょっとでもできればということで、話を聞き始めちゃったらダメなんですよね。やりたくなってしまうじゃないですか。」
江南愛の家では、ちょうど作業棟を新たに建てているタイミングだった。働く場と、住まいの場を別にする、職住分離をしたかったのだ。仕事を新しく増やそうと思っていた訳ではなかったが、そこに割り箸の話。徳島のセルプ箸蔵に見学に行くことになった。しかし、セルプ箸蔵は今では年間1000万膳を製造するほどの規模で、この大きさでは自分のところではできないと考える。そこで、割り箸製造を紹介された施設と取引のあった木工業者と相談して、北海道留辺蘂町(現・北見市)の割り箸製造工場へ見学に行った。
そこからは、試行錯誤の連続。職員を北海道に派遣して、製造方法も学んでもらい、年間200万膳を目標に2003年から製造をスタートした。
「電動と手動の機械を入れたんですよね。特に重度の障害者が多いので、電動を使えるとは思ってなかったんですが、平気で使いこなしてしまう。私の考えは甘かったですよ。能力、特性はあるもんだなと。嬉しかったですね。」
重度の障害者のなかには、はまると強く、職員よりも上手なくらいに仕事をする人もいる。また、割り箸製造は工程が多く、特性に合わせれば、必ずできることがあると言う。
「割り箸会議は面白かったですよね。大学生協の仕組みもよく分かったし、その後、全国各地に製造施設が増えたので、それぞれのスタイルにあった取り組みをしている人達と交流も持てて、よかったと思います。」
製造が軌道に乗るまでは、長岡さんが直接、樹恩割り箸専門委員会にも参加していた。その後、08年に3番目の工場であるエルシーヌ藤ヶ丘(群馬県桐生市)、10年には3施設が割り箸の製造を開始する。割り箸工場が増えていくなかで、二番目の工場として、江南愛の家の果たした役割は大きい。
「せっかく始めた割り箸事業なので、これからも末永く関わりたい。障害者福祉とか、高齢者福祉とか言いますけど、福祉って、みんなが幸せになることだと思います。たくさんの若い人達に森林だけでなくて、福祉全般も含めて啓発できる団体として、JUONにはこれからも活動してほしいと感じています。」
2017年3月11日「樹恩割り箸専門委員会」の際の長岡さん。
2010年3月25日全国大学生協連・環境活動委員会では、江南愛の家を訪ねた。
鹿住 貴之
JUON NETWORK 2021年 第118号
JUON NETWORK 2021年 第118号