第14回 JUONのあの人
田中政晴さん
田中さんは1930年、香川県大川町(現・さぬき市、2002年に大川郡内の4町と合併)に生まれた。香川ベンチの会、さぬき市林業研究会で会長を務める他、多くの会に所属し、代表になることも多い。「山の勉強をするのに、本に書いてないことを人を通じて学んでやろうと色々な会に入った。だから、会に行ったら飲み会まで必ず出ます。」
田中政晴さん
田中さんは1930年、香川県大川町(現・さぬき市、2002年に大川郡内の4町と合併)に生まれた。香川ベンチの会、さぬき市林業研究会で会長を務める他、多くの会に所属し、代表になることも多い。「山の勉強をするのに、本に書いてないことを人を通じて学んでやろうと色々な会に入った。だから、会に行ったら飲み会まで必ず出ます。」
JUONでは、2003年から「香川ベンチの会」とともに「さぬきの森 森林の楽校」を開催しています。現在皮むき間伐を行っているイベントは、流しそうめんや猪鍋などのお昼ご飯も好評で、根強いリピーターがいる親子参加の多い森林の楽校です。現場指導者としてもお世話になっている、ベンチの会会長の田中政晴さんにお話を聞きました。
山を通じて人を育てる。人が育ってないと山は育たん。
「理屈はいらん。とにかく山へ来て、木や植物を見て楽しんで帰ってもらったらそれでいい。」
さぬき市で生まれ育ち、師範学校を卒業後は美術の教員をしていた田中さん。その間も、林業家であった父親の誘いで毎週のように山仕事はしていたという。
「土曜日が来たら電話がかかってくる。『おい、明日の日曜日どこそこの山でどんな仕事するから帰って来いよ。』言うて。」
20歳頃から55歳までの教員生活の間、休日の半分は四国中学校美術連盟の事務局の仕事、残りの半分は実家を手伝って農林業という日々を過ごす。
「美術の先生が山の仕事を?とよく言われるのですけど。美術も山の仕事も緑の群像彫刻。山というキャンバスに緑の群像を彫刻するというようなイメージで取り組んでいる。」
そして、父親が亡くなったため教員を退職し、実家を継ぐことになる。2年目の1987年に大川町の林業研究会を立ち上げた。ちょうどその頃から奥さんが病気にかかり入院するが、看病しながら会を続けてきた。
香川ベンチの会発足のきっかけは、01年、県の間伐材利用に関する協議会でのこと。田中さんは林業家として呼ばれていた。そこに建築家として参加した長本朝子さん(JUON理事)は、田中さんの「この頃、曲がった木を使ってくれないんで困っとる。」という話が印象に残っていた。後に知り合いから教会のデッキを作りたいという話を聞いた時、田中さんを訪ねる。山に連れて行ってもらうと、あちこちに2mくらいに切られた木が置いてあり、「このまま腐らせるのはもったいない。ベンチなら作れるのでは」という話になった。そこで、まず間伐材を山から下ろすイベントを企画すると、多くの参加者が集まった。その後、ベンチの会を設立。間伐材のベンチを作って街に贈る活動を始めた。
03年にJUONの総会を東かがわ市で開催した際には、木工教室を行なう。そこから丸太切りや枝打ちロボットの見学などを実施するようになり、親子対象の間伐体験が「森林の楽校」としてスタートしたのもこの時。
「自分自身が教育に携わっとったということもあるかも分かりません。山を通じて人を育てる。人が育ってないと山は育たん。人間は太古の昔、森で育ったわけですよね。育てられた。そういうDNAがある限り、幼児に山の体験をさせておくべきだというのが私の思いです。」
はじめの3年ほどは田中さんの森で活動していたが、04年に起きた豪雨災害の後は、被害が少なかった現在の場所へ移った。その後偶然にもその場所は、大川町林業研究会20周年の記念事業として、「さぬき市民百年の森」となった。
02年の合併で大川町がさぬき市になった時、田中さんは他の町村の林業研究会に声をかけてさぬき市林業研究会をつくった。また、「実践している人から、本に書いていないことを学ぼう」と考え、当時は10以上もの様々な林業関係の会に入っていた。
「自然の植生、天然林のような放置してある姿に近い人工林が理想だと思っているんです。植えない、刈らない、枝打ちしない、それをできるだけしないで、ほんの少し手入れしてやって、大きい分から頂戴して収益を上げて生活に活かす。香川県はね、小面積を多人数の人で山林を持っている。そういう形態だから、林業地のような経営ではなく、小面積でも質の高い量のある森づくりをせんとあかん。そのためには常に山に利用できる材積があって、植えなくても次の世代が育っていくような山づくりが理想だと私は思っている。」
森づくりのイベントは、林業や環境問題に関心をもってもらうにはいい機会。その反面、単発的で森にとっての「つまみ食い」になってはいないかと田中さんは言う。
「森づくりだなんていうのは長い年月かけてできるものですから、ここで一年、あそこで一年というのではなくて、同じところでずっと継続することこそが森づくり。一本一本植えていった木という命との関わりの中で森が育つ。結果的に、同じ作業、同じ昼飯、同じ話になったりするかもわからんけど。そういうのが続く、続けていくことが本当の森づくりにつながっていく。200年先を見通した森づくりにつながるようなイベントであってほしいなというのが、私の思い。そういう意味では、ここが続いとるというのは、私ええと思うんです。続けなきゃいかんと思うんです。」
2012年9月の「さぬきの森 森林の楽校」で子どもと一緒に皮むき間伐をする田中さん。
「さぬきの森 森林の楽校」でも、田中さんが参加者・スタッフをまとめてくれる。
大浦 雅士・徳田 一絵
JUON NETWORK 2012年 第84号
JUON NETWORK 2012年 第84号