JUONのあの人: 第13回 中西邦康さん

第13回 JUONのあの人
中西邦康さん

中西さんは1941年、富山県利賀村に生まれた。今年の6月20日に「どぶろく特区認定」を受けたばかり。「作るのは自分でも、地域の皆に愛され関わっていただけるものを作りたい。」
 


2003年から富山県南砺市利賀村で開催している「そばの里 森林の楽校」。はじめは年1回でしたが、今では年3回実施しており、現地のNPO法人「利賀飛翔の会」と一緒に森づくり活動を行っています。会の代表である中西邦康さんに、活動の経緯やJUONとの関わり、今後の思いについてお聞きしました。
 
 

四季の感動を肌で感じながら生きてみたいんだと、そういう人がおっていいんですよ。


「私自身はもともと、若い頃は出稼ぎで山に入って伐採やったり、その後も森林管理署(昔の営林署)で山との関わりが多かったんですね。そういう中で、自分の今まで培ったもの、積み重ねたものを活かして、後世に間に合うようなことができんだろうか?あるいは、いろんなことを伝えていくことができんだろうか?と思っておった矢先ですね。」

利賀村教育委員会が主催した、利賀村の自然文化の解説活動を目的とする講座が開かれ、中西さんも受講した。その受講者の有志で1998年に始めたのが「利賀飛翔の会」(以下、飛翔の会)。団体名は、講座が開催された場所「利賀飛翔の郷」からとった。30名ほどで立ち上げた会をNPO法人化し、現在会員は47名いる。自然文化の解説にとどまらず、自然に関する勉強会から自然保護活動まで幅広く、山の手入れも定期的に行っている。

飛翔の会として特に力を入れているのが、「水無湿原」の保護活動。水無湿原には、貴重な高山植物やギフチョウが生息しており、外来植物の持ち込みや蝶を捕獲にくる人が問題になっている。飛翔の会では、貴重な湿原の生態系を守るため、南砺市や森林管理署と協議して、今年から車両の通行制限を設けた。ギフチョウに関しては、天然記念物への指定に向けて動き始めたという。また、森林管理署からパトロールの委託の話が出るなど、ますます飛翔の会の役割は大きくなっている。

JUONでは、03年に「そばの里 森林の楽校」を始めて以来、飛翔の会と一緒に自然歩道の草刈りなどを行ってきた。きっかけとなったのは、当時富山大学生活協同組合の専務理事だった清水文清さん(JUON理事)。飛翔の会の会員でもあり、何か一緒にできないか?というところからつながりが生まれた。

「JUONの、いろんな里山との関わり、自然との関わり、あるいは読んで字のごとく樹を大事にしたい、森林を大事にしたいというような思い、そういったものは私どもの活動と、あるいは私の思いと共通するじゃないですか。だから、そういう皆さんと何らかで関わりを持っていけたら私自身もいいかなということで、関わらせていただいています。」

はじめの頃、森林の楽校の活動は坂上という地区のみだったが、そのうち他の地区からも声がかかり、活動地域は自然と広がっていった。今後は、水無湿原での活動にもぜひJUONに関わってほしいとのこと。

「だんだん高齢化して人不足になって、やっぱり自分らだけでは手に負えんという部分もあるし、よりいろんな人達に関わっていただくことによって地域の人達も活力をもらって、よしやろうじゃないかというようなことにもなるんで、その力は大きいと思いますよ。」

また、3年前から有機栽培による野菜・お米作りを行う「利賀百姓塾」を始めた中西さん。農業離れや地域の過疎化が進む中、食の安全・安心をキーワードに、自然との関わりや自分たちが培ってきた地域の知恵や技を伝えていきたいという。

「単なる田んぼ作りだけでなくて、幅広く里山暮らしといいますかね、そういった暮らしの知恵を伝えながら、皆さんと楽しく何かイベント的にやれないかということで百姓塾を始めたと、こういうことなんですね。」

利賀村の内外から、年間のべ百数十人が参加し、稲作りやそば打ち体験などを行っている。

さらに、中西さんには民宿経営というもう一つの顔がある。早稲田小劇場が利賀村に活動拠点を移した76年当時、全国から多くの人が集まった。そのニーズに応えようと同年に始めた民宿は、今年で37年になる。今では演劇関係の宿泊は減ったが、小学校のセカンドスクールの受入れや、震災復興支援として、福島県の親子を招いての交流企画なども行っている。

さまざまな取り組みを通して、利賀村の魅力・山の暮らしの智恵を発信しようとしている中西さん。最後に、過疎化の問題についての思いを話してくださった。

「どこに喜びを求めていくかっていう、それは一人一人の思いじゃないですか。だから会社勤めのほうが気楽でいいんだという人は、それはそれでいいんですよ。でも、それじゃ飽き足らない、伸び伸びと自然の中で暑い思いもし、寒い思いもし、その中で四季の感動を肌で感じながら生きてみたいんだと、それもそれでまたいいじゃないですか。そういう人がおっていいんですよ。それでこそ田舎と都市があって、一つの国として成り立つ。皆が勤めることばっかり求めたらこれは国が荒廃してね、もう駄目になっちまう。そういう中で皆さんいろいろ感じてきている時代になった今こそ、ここにおってこういう生き様もあるんだよというものを、我々はしっかりと受け止めて発信してかないかん。こういう思いでやっとるわけですよ。」
 

  • 2011年9月の「そばの里 森林の楽校」で参加者と。右端が中西さん。

  • 「利賀百姓塾」の田んぼの前で。21aに、コシヒカリ、どぶろく用の酒米、古代米(緑米)を植えている。
 
大浦 雅士・徳田 一絵
JUON NETWORK 2012年 第83号