第41回 JUONのあの人
近藤清美さん
近藤さんは、1959年徳島県三好郡井川町(現・三好市)で生まれた。昔から絵を描いたり、詩を描いたりするのが好きなロマンチスト。アイデアマンでもあり、農林業や過疎地域の未来の事業を考えた時に、ビッグウィルのイメージが見えてきたという。また、小学生の時から常に、キャプテンや生徒会長などを務めた。「同級生は、昔から全然変わらんな。小学校からずっと一緒やなって言いますね(笑)。」
近藤清美さん
近藤さんは、1959年徳島県三好郡井川町(現・三好市)で生まれた。昔から絵を描いたり、詩を描いたりするのが好きなロマンチスト。アイデアマンでもあり、農林業や過疎地域の未来の事業を考えた時に、ビッグウィルのイメージが見えてきたという。また、小学生の時から常に、キャプテンや生徒会長などを務めた。「同級生は、昔から全然変わらんな。小学校からずっと一緒やなって言いますね(笑)。」
JUONでも普及推進を行っている「樹の紙」。徳島県東みよし町にある株式会社ビッグウィルが開発した、木材を極薄にスライスした壁紙などに使うシートで、精神障害者が働くワークサポートやまなみでも製造の一部を担っています。代表取締役社長の近藤清美さんに、これまでの歩みと思いについて、語っていただきました。
お年寄りやハンディキャップのある人が楽しみながら生活でき、生きがいのある事業をこしらえるというのが僕の目的。
「これからのお年寄りの数を考えると、大変な時代になる。行政がいくら頑張っても無理だろうと、脱サラして、農場開発を行ったんです。」
地元で就職してから10年以上、特別養護老人ホームで経理を担当していた近藤さんは、日本の抱える福祉の問題の大きさに気づく。高齢者一人を支えるのに必要な金額を知り、元気に働くお年寄りが増えることが必要だと考えたのだ。
そして、仕事を辞め、兄弟や仲間と一緒に農地を開発し、高齢者を雇用して農業を始める。標高900メートルの高地にある農園は寒暖差が激しい。その特徴を利用することを考えて始めた花の栽培は大きく成功し、大阪の市場では高値で取り引きされるようになった。
しかし、4〜5年後、民間企業が農業に参入しやすい国の政策が導入される。その余波を受けて花の値段は下がってしまった。
「思わぬ風を受け、このままでは農地を守っていけんだろう。お年寄りの仕事を考えれば、特許だなと。特許の発明によって、地域に根ざそう。地域の農業、林業に何の特許があるのだろうかと考えたんです。」
徳島県西部の山に囲まれた環境で生まれ育った近藤さんは、子ども時代には祖父について山仕事の手伝いをすることも多かった。中学や高校では、陸上に明け暮れる。決して金銭的に豊かではない時代に、高校に行かせてくれ、その上、高額なスパイクを買ってくれたり、早朝から弁当を作ってくれたりする親に多大な恩を感じたという。長男であることもあり、地元に残って就職することにした。
「部活で遅くなって、山のなかの暗い道を自転車で帰ってきても、親が玄関先で迎えてくれる。こういった気持ちをありがたいなと。親には感謝しながら育ちました。」。
就職してからは、青年団活動に参加した。町、郡、県の会長や副会長を歴任し、地域のことについて真剣に考えるようになる。若者が減り、老人が増えていく時代のなかで、何ができるのかと、地域の資源を活かして特許を取るということに行き着いたのだ。
「まず、竹をチップ化して、紙にしようと。東京まで行って、特許庁で調べました。」
調べてみると、少し前に九州の方がすでに特許を押さえており、断念せざるを得なかった。そこで、再び考えて生まれたのが、「樹の紙」である。国産材を使おうということが広がり始めた時代であり、知人を介して、大阪のツキ板工場との出会いもあった。
「木をもっと使おうって言っても、その壁紙って銘木ばかりだけど全部外材じゃないの?何でもっと国産のスギやヒノキで考えられへんの?と言うと、あんな節ありじゃ使えんじゃないの、値段が合わないじゃないのって、そういう人ばっかり。」
林業関係者の間では見向きもされなかったが、不燃化や極薄化に成功し、特許を取ることができた。天然木の壁紙シートは、東京や大阪の展示会でも注目され、売れると思ったが、品質に疑問を持つ人が多く、製造量は伸びない。そこで、更に技術開発を進め、新しい不燃化や世界最薄化の方法も確立させ、新たな特許も取得できた。曲げても折れない樹の紙が誕生したのだ。
樹の紙の製造工程の一部は、精神障害者が多く働く社会福祉法人三好やまなみ会ワークサポートやまなみが担っている。当時事務局長だった井上員江さん(2012年2月1日発行・会誌81号「JUONのあの人」)と親戚だったことも縁だ。JUONでは林野庁補助事業として、「『樹の紙』を活用した商品開発と障害者等との連携による産業づくり」を実施した。
「お年寄りやハンディキャップのある人が楽しみながら生活でき、生きがいのある事業をこしらえるというのが僕の目的。それがノーマライゼーション。地域に企業がないと福祉の援助ばかりでは、もつはずがない。儲けではなく、三方一両損の考えで地方が生きられることを考える事業家が出てこないとだめだよと。」
近藤さんとJUONとの出会いは、JUONが設立される頃から。地元のボランティア団体の中心メンバーだったからだ。
「大学生協とつながるJUONに期待するのは、教育。ほとんどの学生の家族や親戚には、畑や山のある田舎があるだろう。それを誰が維持してきたか、今の自分があるのはどうしてかを見つめ直す場を提供してほしい。割り箸もそう。大学よりも生協やJUONの方が力を出せるのではないかと思う。」
日本林業調査会『林政ニュース』2019年5月15日号で、ビッグウィルが取り上げられた。
2019年4月21日建築家の隈研吾さんがワークサポートやまなみを訪れた際に記念撮影。
池 大祐・鹿住 貴之
JUON NETWORK 2019年 第111号
JUON NETWORK 2019年 第111号