第28回 JUONのあの人
三浦麗子さん
三浦さんは1934年、宮城県牡鹿郡稲井村(現・石巻市)に生まれた。実家はお茶畑などの農業、植林や炭やきなどの山仕事で生計を立てていた。54年に結婚して、矢本町(現・東松島市)に移って以来、農業一筋。お米や豆、ジャガイモ、タバコなどを育てる。93年には、地域の仲間と介護家族の会をつくった。「私が来たときは馬車ですもの。牛もいたんだよ。馬耕っていうので、馬で田んぼ掘ったんですもん。」
三浦麗子さん
三浦さんは1934年、宮城県牡鹿郡稲井村(現・石巻市)に生まれた。実家はお茶畑などの農業、植林や炭やきなどの山仕事で生計を立てていた。54年に結婚して、矢本町(現・東松島市)に移って以来、農業一筋。お米や豆、ジャガイモ、タバコなどを育てる。93年には、地域の仲間と介護家族の会をつくった。「私が来たときは馬車ですもの。牛もいたんだよ。馬耕っていうので、馬で田んぼ掘ったんですもん。」
東日本大震災から5年が経ちました。JUONでは発災直後から宮城県で支援活動を行ってきましたが、その地域の一つが東松島市。その時のご縁で、特に関西中国地域ブロックのメンバーがおつき合いさせていただいているのが、三浦麗子さんです。震災やこれまで、そして、これからについて伺いました。
この震災経験をね、生かされたお役として風化させないように、教訓にして残したい。
「その時自分は、今考えるとおかしいね。JUONの会員だと思ってたの。会員だから何回も来てくれたんだと。」
三浦さんはかつて阪神淡路大震災の後、神戸の団体に寄付をしたことがあった。今では団体名も金額も覚えていないが、JUON関西中国地域ブロックのメンバーに出会った時から、ずっとJUONに対して払ったものだと思い込んでいたのだという。親戚や友人が亡くなり、頭がおかしくなっていたのではないかと、三浦さんは話す。
東日本大震災直後から七ヶ浜町において、JUONも共催で活動がスタートした大学生協ボランティアセンター。ゴールデンウィークには、参加者が増えたことから、東松島市でも活動を行うことになった。そこに、関西中国地域ブロックの会員10名も合流する。
「うちの集落には最初、そんなにボランティアさんは入んなかったんです。入んないというか手続きが分からないというか。で、若い男の子とか女の子がうちに偶然にも入ってきたのね。それで『どちらからお出でになったんですか?』って言ったら、ヘルメットを指差して。『JUONボランティア』って書いてあったのね。」
阪神淡路大震災の恩返しをしたいと、いち早く現地を訪れた、神戸の重元勝さん(JUON理事)達との最初の出会いだった。その後も、大学生協ボランティアセンターでは、三浦さんの仲介で、たびたびお手伝いに行っているが、関西中国地域のメンバーも独自に訪れるようになる。翌2012年、13年とゴールデンウィークに伺い、13年には復活した地元の五十鈴神社のお祭りで、揖保乃糸や豚汁などを振る舞った。
また、その活動のメンバーだった谷雅典さん(JUON会員)の紹介で、13年からは岐阜県立恵那農業高等学校の森本達雄先生と生徒が来るようになった。塩害に強い「空心菜」の苗を提供してもらい、仮設住宅に入居された方などが集う「復興畑」で栽培している。今では、近くの飲食店でも使われるようになった。今年は、ただ食べるだけではなく、更に活かす方法を考えていきたいという三浦さん。
三浦さんが矢本町(現東松島市)に来たのは、結婚がきっかけ。嫁いだ先の三浦総本家は農業を営む地域の世話役で、それからは農家を続けてきた。復興畑は、三浦さんのお宅の前の敷地にある。
そのようななかで、家族の介護を行うようになり、介護保険制度が始まる前の1993年、地域の方と一緒に「介護家族の会」を立ち上げる。以来、地域の福祉関係の役職に就くことが多かった。おせっかい焼きの性格が災いしていると、三浦さんは言う。震災当日は、少し離れた地域のお宅に生活支援のボランティアに伺っていた。その日に限って急に来るよう呼び出され、そのお宅で地震が起きる。もし自宅で被災していたら、地域の方の世話を焼いているうちに津波に飲まれただろうと話す。
「目立つところは復興していても、小さなところに目が届かないと、私はいつも言ってるの。裏の堤防なんかも2年遅れてるからね。うちの集落なんかを見ると、どこが復興したんだべと思うね。」
震災から5年。周りには借金を重ねる人も多いが、ところどころで復興の進みを感じることもできる。三浦さんも、自宅を再建して2月に仮設住宅から戻った。五十鈴神社のお祭りは、ボランティアが入って、震災以前よりも人が来るようになったという。
「あの後からどんどん、神社がね、盛り上がったの。津波を受けた杉の木70本も伐採したしね。昔と比べたら10倍も盛り上がってね。本当におかげさんでね、『こんなお祭りだったの』と思うくらい、人が出るようになったの。」
まだまだ、復興には時間がかかる。今の心境を三浦さんに聞いた。
「私もほら、年も行ってるからね。だから、できればこの震災経験をね、生かされたお役として風化させないように、教訓にして残したいと常に思っています。JUONさんともこういうつながりができましたし。」
2013年3月大学生協ボランティアセンターの活動に参加した学生と一緒に記念撮影。
2012年9月学生に作業の説明をする三浦さん。
遠藤 紗穂里・鹿住 貴之・富井 久義
JUON NETWORK 2016年 第98号
JUON NETWORK 2016年 第98号