JUONのあの人: 第29回 原和男さん

第29回 JUONのあの人
原和男さん

原さんは1955年、兵庫県明石市に生まれた。住宅街でずっと暮らしていたが、色川に移住してからは農業を営んで自給自足の生活を送る。性格は穏やかで優しくも、地域活性化に向けての情熱は強く、時に交流会でその思いを語って下さる。「自分らで耕しながら暮らしてると、棚田を守っていきたいよねえと。それと、山で耕すっていう暮らしというものを、まずは知ってほしい。」
 


2011年から行っている「熊野の棚田 田畑の楽校」は、地元の棚田を守ろう会の活動に合わせて、年4回開催しています。05年に立ち上がったこの会の初代会長が、原和男さんです。和歌山県那智勝浦町色川地区で農業を営む原さんに、その経緯や思いについて話していただきました。
 
 

旬の食べ物を、普通に誰もがきちんと食べられる社会になったらええなあ。


「最初はね、自分で経験積んで青年海外協力隊に行こうと思ってたけど、いかに自分が非力か、何も知らないかっていうことを、つくづく感じて。まずは自分がしっかりと暮らせなあかんなぁと。」

原さんが農地を求めて色川に移住したのは今から36年前、26才の時である。当時はまだ移住が一般的ではなかった頃。青年海外協力隊を目指し、農業で経験を積むために土地を探していた原さんは、いち早くよそ者を受け入れる流れができていた色川で、半年ほど実習生として有機農業を学んだ。そこで、耕して暮らすことの大変さを痛感し、そのまま移住して独立することになる。

和歌山県那智勝浦町色川地区は、人口の約4割が移住者という全国でも珍しい地域だ。JUONでは「熊野の棚田 田畑の楽校」の開催地として、棚田の農作業を年4回お手伝いしている。原さんは、色川によそ者が住み始めた最初の頃の移住者だ。

農業への興味は、浪人時代から。それまでは、小学校より陸上部に所属し、クラブ一本の生活だった。勉強より遊びが好きで、大学受験をするもすべて落ちてしまい浪人生に。当初は、父親がそうだったからと、特に何も考えずに工学部を志望していた。自分で考え、深めるということを、当時はまったくしていなかったと、原さんは言う。

高校を卒業し予備校に通い始めてからも、パチンコをして半分は遊んでいた。しかし、ある朝予備校に向かう途中で見たものに、ショックを受ける。アフリカの飢餓問題のポスターだ。

「ほんと激震やったね。うわぁ、こんな子らが片方でいるのに、何してるんやろな、と。そういう子らを何とか助けたいなと思ったんだよね。」

この時から青年海外協力隊に関心を抱き、農業で貢献できないかと考えるようになる。そして、その足で予備校に着くとすぐに、志望学部を工学部から農学部に変更した。勉強も心を入れ替えて励むようになったのだ。

大学では座学が多かったため、現場を知ろうと、大学3回生の時に休学をして、農家で住み込みの手伝いをすることに。そこで初めて農業の技術を学ぶ。だが、あまり出回っていない物や、珍しい物を作って付加価値の高い商品を売る、そういった一つの農業者の成功イメージと、自身の動機ややりたいこととは違っていた。

「旬の食べ物を、普通に誰もがきちんと食べられる社会になったらええなあと。だから、自分でまず耕して、その季節のものをちゃんと作る技術をまずは身につけたいなと思うて、土地探し始めたんやけどね。」

実習生として色川に来たのはこの後である。今とは違い農作業のほとんどが手作業だった当時、地元の人の手際のよさにただ驚くばかりだった。

「世間話しながら猛烈なスピードで、稲苗を植えていくんだよね。自分が食べるものを自分の力で、それこそ体に染み込んだような流れのなかでこなしていく。そういうことが、生きる、暮らすっていうことなんやなと思うて、人を助けるなんて考えてた不遜さをその時すごい感じて。まずはしっかり暮らそうかなっていうふうに思ったんや。」

農業で独立をし、子どもが生まれて7、8年の頃、段々と子どもの同級生が減っていく状況に、過疎化への焦りを感じた。かつて200ヘクタールあった農地も今では4分の1にまで減少。色川に入ると、元棚田だった場所が杉林になっている様子がうかがえる。これ以上の過疎化を抑え、田舎が守られるためには、移住者が増え、田畑を耕す人が増えることが必要だと力を込める。

「耕しながらそこで暮らし続けるっていう人が一人でも増えていくことは、その地域をしっかり守っていく流れに確実につながる。だから、本当に人が暮らしたいと思う地域でないとだめやなあと、つくづく思って。」

棚田を守ろう会を立ち上げたのは、そのような思いがあってのことだ。高齢になった地元の農業従事者にとっては、自分の代で終わりという諦め感が募っている。そこに、街の人が足を踏み入れ、しっかりと目を向ける人もいれば地域にとって励みになる。更に、やる気のある人がいれば、仕事を譲るという道も開けるのだと話す。原さんが願うのは、都市と田舎がお互いによりよい形を求めていこうとする地域間交流だ。

「都市と農村という二極化を超えて、お互いの暮らしをよりよくし合う、もっとその暮らしのほんまの豊かさをお互い応援し合って見つけていく。そうすれば、よりよい社会になる。JUONとの取り組みは、そういう運動ちゃうかなという気がするんだ。」


 

  • 2016年7月棚田を守ろう会の棚田で草取り。

  • 2012年9月「熊野の棚田 田畑の楽校」で稲刈りの説明をする原さん。
 
遠藤 紗穂里・鹿住 貴之
JUON NETWORK 2016年 第99号