JUONのあの人: 第31回 原島幹典さん

第31回 JUONのあの人
原島幹典さん

原島さんは1957年、東京都西多摩郡奥多摩町に生まれた。祖父の代から山を所有しており、長男が山を受け継がないと決めた学生時代に、林業の継承を決意。それまでよそごとと感じていた森づくりを意識するようになる。東京農業大学の学生の時には、1年間住み込みで林業の修行にも出ていた。「このままいくと研究室でお礼奉公させられるのは見えていたので、修行に行かせてもらいますって(笑)。勝手に自分で北山に行っちゃったの。」
 


東京都奥多摩町を中心に、毎年秋から冬に行われる全5回の「森林ボランティア青年リーダー養成講座in東京」。その第4回目に指導いただいているのが、原島幹典さんです。岐阜県立森林文化アカデミーの教授であり、奥多摩に山を持つ原島さんに、森林ボランティアへの思いやこれからについて語っていただきました。
 
 

どうすれば次世代に賭けない形で山を引き渡せるか、自分の一番大きなテーマ。


「これだけの人達が関心を持って応援してくれるなら、なんとかなるかもしれん。」

多様な人々が継続的な森づくりをしていくために開催された「第1回森林づくりフォーラム」。1994年に東京農業大学の演習林(奥多摩町)で行われたこのシンポジウムが、森林ボランティアへの関心のきっかけだったと原島さんは話す。

洋品店を営む山主の次男として生まれた原島さんは、大学の経営学部を出て山の継承を決意。東京農業大学の林学科へ編入した後、奥多摩の実家で約4年半、林業に携わる。しかし、山の樹齢が若かったこともあり、経営難に。北山杉の苗を父親の代から植えるなど特殊なやり方を試みてもお金になることはなかった。もはや林業で食べていくことはできないと痛感する。

「一度は自分が手をかけた山はあったけども、もうそれは無理だって諦めて。見て見ぬふりをするようになっていたわけね。」

原島さんは林業を離れ、地元の第三セクターに就職し、サラリーマンに転身。そのうち、世帯を持ち生活も安定していくのだが、そのなかで声をかけられて参加したのが森林づくりフォーラムだった。そして、ボランティアなどで森林に関わっていた都市の人と、山村の人が交流するなかで、森林ボランティアへの大きなニーズを感じたのである。

「関係ない人達がここまで熱意を持ってね、関わろうとするのを見ちゃうと、逃げ出すわけにはいかんなこれはって、逆に自分の中の考え方が少し変わってきて。」

もう一度トライしようと、原島さんは、林業家・森林インストラクターとして「東京都奥多摩都民の森(体験の森)」や「奥多摩・山しごとの会」などで積極的に活動していった。そして、11年間務めたサラリーマンを41歳で辞めて独立してからは、実家の会社で林業の事業も請け負うように。2005年、森林文化アカデミーの教員に就任。現在は教授として、山村文化や森づくりについて教鞭をとる。

その後、組織化した「森づくりフォーラム」の理事も当初からしていた原島さんは、森林ボランティア関係の集まりなどを通して、鹿住貴之事務局長と出会い、JUONとつながりを持つようになる。今年度で第18期目となった「森林ボランティア青年リーダー養成講座in東京」では、04年の第6期から講師をお願いしており、山や集落の視察で、森林の見方や考え方を教えていただいている。大樹を訪ねたり民家へ行ったりと、行き先は毎年様々だが、ポイントとしては二つあるという。

「一つは、鹿の食害がひどくなっていることを感じてほしい。もう一つは、自然の中で人が暮らしていく原型が、山の中の小さな集落の痕跡を見ることによって、それを思い出すことができるっていうか、学ぶべきものがあるんじゃないのかっていうこと。」

講座の参加者は18〜40歳の若者である。なかには、修了後に森林文化アカデミーへ入学する人も。そういった次の世代を担う若者への、原島さんの期待は大きい。

「どうすれば次世代に賭けない形で山を引き渡せるかというのは、これからの自分の一番、林業あるいは所有林に関しては大きなテーマになりますね。」

原島さんはあと1年で定年を迎える。定年後は奥多摩に戻り、それまでにない山の活かし方を模索したいのだという。かつてに比べ、森林の問題はある程度理解が広まり、林業も政策的に支援されるようになってきた。今後は、支援からあぶれてしまっている部分で力を入れていきたいというのだ。

「支援を受けられない形の方が面白かったり、本来の姿であったり、ユニークだ。そっちに文化は根づく。単一の林業ではなく、その地域やその人や、自然風土の個性が活かされた森林との関わり方みたいなものが、魅力的に感じるし、そこに人が育つんだろうなって思う。」

ビジネスとしては成り立たない山だが、そのままにしておくわけにはいかない。木材以外の様々な利用方法を考え、提案しながら引き継いでいきたいと、原島さんは話す。政策からこぼれたものも拾っていかなければ、それは消えていくだけだからだ。

「そういうところに多くの人達が関心を持ち、声をかけて、少しでも温存するとか、手伝うことがあれば手伝うとかさ。そっちにかつての森林ボランティアパワーが欲しいなという思いはあります。」

森づくりにかける、この熱意はどこからくるのか。

「何十年か先に生まれて、山を預かった人間としての義務だよね、それは。皆さんが間接的に被害者になってしまう可能性があって、その原因を自分も一部加担している部分もある。だから、次の世代の人に伝えなきゃいけない。」
 

  • 2017年1月「第18期森林ボランティア青年リーダー養成講座in東京」の参加者と一緒に記念撮影。

  • 2006年1月「第7期森林ボランティア青年リーダー養成講座in東京」でガイドする原島さん。
 
遠藤 紗穂里・鹿住 貴之
JUON NETWORK 2017年 第101号