森林の楽校(もりのがっこう)


 
四国のへそ 森林の楽校 
 水源の森 自然ふれあい学習 
 神の泉 森林の楽校 

トキの島 森林の楽校
   清流の森 森林の楽校 
 そばの里 森林の楽校 

さぬきの森 森林の楽校 
 白神山地 森林の楽校
  風の谷 森林の楽校 

四万十川 森林の楽校 
  つばきの里 森林の楽校 
鳩ノ巣 森林の楽校 

会津高原 森林の楽校
   霧の高原 森林の楽校 
 キノコの森 森林の楽校 

安曇野 森林の楽校

※会誌掲載原稿を元に2018年10月現在で記事を作成しているため、現状と異なる場合があります。


四国のへそ 森林の楽校

JUONが設立された1998年から行っている、最も歴史のある「森林の楽校」が、「四国のへそ 森林の楽校」です。阪神淡路大震災のボランティア交流が森林の楽校となり、20年を迎えました。

軽架線の集材を行ったり、伐木等特別教育修了証(俗にチェーンソー資格)を交付できる内容で実施したり、初参加者ももちろん楽しめるのですが、玄人の琴線に触れる内容が多いのも、「四国のへそ 森林の楽校」の特徴です。これには、四国地域ブロック世話人会の方々が、それらを実行できる資源を持っているだけでなく、ある思いがあるからです。

JUON設立のきっかけの一つである、95年の阪神淡路大震災の際の、大学生協による仮設学生寮の建設に、徳島県三好地域の林業関係者が間伐材製のミニハウスを提供して下さいました。兵庫でのミニハウス建設のボランティアやそこで生活していた学生が、その年の夏に、「震災ボランティア交流会in徳島」として、徳島を訪れます。この時に、森林ボランティア体験を行ったのが、森林の楽校のはじまりです。この交流は96年も続き、97年には「森林ボランティア交流会in徳島」となりました。そして、98年のJUON設立の年に森林の楽校としてリニューアルしたのです。

JUON設立と同時に、この農山村と都市の交流のシンボルとして「大学の森」が設置されました。JUONが所有する唯一の森林です。「四国のへそ」では、毎年ここを拠点に活動を行っています。天然林も多いのですが、杉の人工林もあり、今回の架線集材も大学の森で行いました。

震災時に提供いただいたミニハウスは、国産材・間伐材の利用を進めるために製品開発されたものでした。その後、学生に日本の木を使ってもらおうと徳島で生まれたのが「樹恩割り箸」です。このような流れから、四国の世話人には林業や行政の関係者も多くいます。林業を業として成り立たせることに取り組んでいらっしゃる方々ならではの、本物の林業を見せたいという思いが、森林の楽校の企画にも表れているのです。

【 キーパーソン 】 大柿兼司さん
「四国のへそ 森林の楽校」開催以前から、現在まで受け入れをしていただいており、2016年に結成60周年を迎えた「西井川林業クラブ」の会長。96年に徳島で行われた大学生協の「震災ボランティア交流会」が、大柿さんとJUONとの関わりの原点です。森づくり活動を通して、森林の大切さや林業の役割について伝えることに力を注いでいます。

「間伐したり枝打ちしたり、下草刈りしよったんでは、話もできんでね。夜の交流会の中で打ち解けて話が弾むんであって。そこから交流が始まるんやから。」「もっともっと多くの方が参加して、交流会ができるような運び方してもろたらええわね。それと、なんとか過疎に歯止めをかけたい。やっぱり観光客に来てもろて、交流人口を増やせば、ちっとは活気が出てくるんじゃないかな。」「山ばっかりでなくてね。農も林も一緒にね、興味を持ってもらって、ちょっと行ってみようかっていうきっかけができるようなね、地元が取り組みをせんかったらいかんと思う。」「私らもう、乗りかかっとる船じゃきに、もうやーめたってわけにはいかんけど、参加する人にとって魅力あるような活動をしていかんかったらいけない。JUONの方に来てもらえるような、明るく細く長く続くような取り組みを、ね。」



 

水源の森 自然ふれあい楽習

1999年から始まり、「森林の楽校」としては2番目に古い「水源の森 自然ふれあい楽習」。公益財団法人三菱UFJ環境財団(旧サンワみどり基金)と共催で行う、名称に「森林の楽校」と入らない唯一の「森林の楽校」で、首都圏の水瓶となっている地域での森づくり活動です。

95年、JUONの筒井迪夫副会長(当時・東京大学名誉教授)が、三和銀行を母体に71年に創設された「サンワみどり基金」の理事であったため、職員の方とお会いし、「水源の森」の活用を打診されたのがきっかけです。

「水源の森」は、緑化事業と環境教育事業を行ってきたサンワみどり基金が25周年を記念して97年度から始めた、国の分収育林制度を活用した事業です。非常に雪深い群馬県みなかみ町藤原地区にあり、面積約14ヘクタール、標高950〜1200メートル。下半分が55年生・64年生のカラマツとスギの人工林、上半分がブナ、ミズナラ、ヒバ、ヒメコマツなどの天然林からなる混交林となっています。

98年9月、JUON事務局からサンワみどり基金主催の「第2 回ふれあい林業体験プログラム」に参加しました。余談ですが、この時初めて、現在東京ヤングジュオンの指導をしていただいている中嶋敏男さんと会いました。「森づくりフォーラム」を通じて指導者として来ていたのです。

そして、翌年の99年から「自然ふれあい楽習」との名称で、林業体験が行われることになり、うち8月の1回をJUONとの共催で行うことになります。JUONには、学生をはじめとした若い世代の参加が期待されていました。初年度は学生に協力してもらい、実行委員会形式で実施しました。その後、銀行の合併により名称が「三菱UFJ環境財団」となり、年3回の開催を継続しています。

「水源の森 自然ふれあい楽習」は、東京ヤングジュオンの活躍の場となっています。また、JUONでは、「BESSフォレストクラブ」の森づくり活動のコーディネートを行っていますが、2011年には、水源の森でも活動実施させていただきました。東京からバスを出すことになり、アクセスもよくなりました。


 

神の泉 森林の楽校

JUON設立の源流である、廃校を活用した大学セミナーハウス。その一つが、この地で早稲大学生協が1985年に始めた「コープビレッジ神泉」です(現在は別企業が「ビレッジ神泉」として運営)。

その後この地での森林の楽校は、徳島や群馬に遅れること2000年から始まりました。神泉村は途中2006年に神川町と合併してしまいましたが、旧神泉村役場庁舎である、現神川町神泉総合支所を中心に開催しているので、楽校名は、「泉」を「川」に変えずに継承しています。

01年には、JUON第3回総会を神泉村で開き、村内に位置する「埼玉県100年の森」に、記念に200本のトチノキを植えました。地元在住の石井理事からは「10年間は下刈りに来なさい」と言われて来ましたが、トチノキ林は人の背丈の2倍ほどにまで育ち、08年から間伐を始めるまでになりました。

ここでの森林の楽校は神川町主催で地元森林組合の協力を仰げているため、道具が揃っていますし、班体制で指導できます。当初はお膳立てされた体験のお客さんに終始していましたが、最近は、地元の方だけでは手が届いていない、景観整備のための草刈りなどの作業を任せて頂けるようになりました。一方、少しでも地元にお金が落ちればと、これまで町営のお風呂に立ち寄っていました。そこで記念すべき30回からは、地元産品購入も行程の中に加えました。こうして、地元満足度も徐々に上げられるよう改善しています。

首都圏に位置するため地の利を活かして、企業などの森づくり体験も、何度も受け入れて頂いています。09年にはお茶の水女子大学の実習も受け入れ、途中少しだけ寄り道をして樹恩割り箸工場「江南愛の家」を見学することで、森林保全ツアーとして包括的な企画に出来ました。「埼玉県100年の森」は、首都圏の水源である神川町の下久保ダムの涵養域に位置します。トチの成長を見守りながら森と水との繋がりを体験出来る場として、価値あるフィールドです。

10年度に「100年の森を守る会」に、JUONとして入会しました。会員団体との連携など、地域との結びつき強化も考えて行ければと思います。長年の蓄積から生まれた様々な資源のある神川町。色々な可能性を秘めていますが、より地元の役に立つ関係を、作って行ければと考えています。

【 キーパーソン 】 石井清允さん
世話役であるJUON元理事の石井清允さんは、JUON設立のきっかけとなった廃校活用セミナーハウスの開設など、埼玉県神泉村(現神川町)の職員や助役として、地域の活性化に取り組んできました。

「城峯公園を中心に、下久保ダムや『100年の森』での作業など、正直言って本当にありがたいと思っています。普通、森林作業なんてしないじゃないですか。地元の人も高齢化しちゃって、やりたい気持ちはあるけどなかなかやらないですよ。ボランティアで募集しても来てくれないしね。」「都市の人に来てもらいたいって思っても、山村側から情報発信して都市側の人に呼びかけるのは難しいし、どこへ呼びかけていいか分からないと思うのですよ。なので、森林体験も一つの方法ですけど、JUONには、いろんなことのなかで都市と山村をつなぐ役目をやっていただきたいな。それだけは他のところではできないと思います。」



 

トキの島 森林の楽校

佐渡島で、2000年から新潟大学と共催で実施している「トキの島 森林の楽校」。最初は、新潟大学演習林での活動からスタートしましたが、02年からは、トキ野生復帰に向けた里山整備活動を行っています。

JUON設立のきっかけの一つである、廃校を活用したセミナーハウスの一つが、佐渡島の猿八地区にある鳥越文庫です。1998年にオープンし、その地域を拠点に活動する猿八山舎の当時の中心メンバーが、光井高明さん(JUON元理事)でした。佐渡島でも森林保全活動を行おうと、光井さんが新潟大学の佐渡にある演習林(現・農学部附属フィールド科学教育研究センター佐渡ステーション演習林)を訪ね、本間航介准教授と出会います。そして、2000年、演習林での作業と散策を中心に「トキ色の島 森林の楽校」という名称で開催しました。

4回目となる02年夏には、演習林での活動と合わせて、キセン城でトキ野生復帰に向けた作業を行うことになります。1981年に野生に残っていたトキ5羽が捕獲されたのですが、キセン城はトキの主要な餌場の一つでした。減反政策と相俟って70年代から棚田は放棄され始め、すっかり森に戻っていたのです。将来のトキの生息環境を整備しようと、15名以上いる土地の所有者の了解を取りつけ、最初にキセン城に鍬を入れたのが、この2002年の夏でした。そして、この年から夏秋の2回開催を続けています。

03年には、新潟大学のトキ野生復帰プロジェクト(現・朱鷺・自然再生学研究センター)が発足します。なお、新潟大学では夏に、演習林での公開実習を行っていました。そこで、この年からは公開実習と夏の森林の楽校を前後に連続して行うことで、それぞれのオプションコース的意味合いを持たせて実施することになります。屋久島のように天然杉の残る演習林の原生林散策は、人気のコースです。05・06年には、トキの餌となる田んぼの生き物調査などを行った森林の楽校を6月に実施しました。

当時は夢のようなトキの野生復帰でしたが、日本産トキの絶滅と前後して、1999年に中国からトキのつがいが贈られ、日本初の人工繁殖が成功します。その後、増殖数も増えたことから、2008年に野生放鳥が行われ、現在まで15回実施されました。そして現在、日本では飼育数197羽、野生下の推定数353羽、計550羽にまで増えたのです(2018年9月末現在)。放鳥当初は数も少なく、森林の楽校では、ねぐらから飛び立って餌を食べるところを見ようと、早朝にトキを探しに行き、結局見ることができない、ということもありました。しかし、現在では宿舎であるトキ交流会館の前の森をねぐらにするなど、必ずトキと出会えるようになったのです。ちなみに、放鳥に合わせて09年に名称を現在のものに変更しました。

そもそもこの活動は、「トキ」ではなく、「トキが棲める環境」を守ることが目的です。今後も、新潟大学とともに、キセン城の整備作業を続け、更に、地域の方とも協力して、本格的にトキが野生復帰したと言えるよう活動を行っていきたいと考えています。

【 キーパーソン 】 本間航介さん
新潟大学農学部フィールド科学教育研究センター准教授で、トキ野生復帰プロジェクトの発起人。専門は森林生態学で、豪雪、高標高、厳しい場所で森が維持されるメカニズムを研究しています。トキのエサ場にするため、02年から一緒に手入れをしてきた棚田跡地「キセン城」は、放鳥の候補地になっています。

「単にトキが飛んだだけであって、まだ始まったばかり。都市の人達と環境保全の現場との関係がすごい気になるんだよね。トキってものを、東京とか都市部の人達は、自分からは遠いものだと思っちゃう。でも、5年10年経って、ある程度トキが飛んで安定すると、環境省は手を引いていくわけです。けども、一回里山でトキを飛ばしたら、未来永劫手入れしないと、またいなくなっちゃう。で、その未来永劫里山を手入れするのは誰なんだって、そこの答えが出てないのね。今のままだと、多分その負担を地元だけでは負えないって話で、終わりになってしまう。」「都市部の人で、自分達にできることがないかって思っている人は結構たくさんいる。そういう人達と環境保全の現場をつなぐパイプがまだ細いわけですよ。もっと、どんどん太くなっていってほしい。そのひとつのパイプとしてJUONが機能してくれたらすごくうれしい。JUONの参加者は、森林で作業したり、観察したりする時のモチベーションが高いんですよ。リピーターも多い。5年とか7年とか続けてきてくれる人がいる。慣れている人が増えて、作業が非常にスムーズに進みます。他のNPOとの関わりもたくさんあるけど、一回きりで満足して帰っちゃう人達がほとんど。期待するのはとにかく継続してやるということ。10年やってきて、波及効果がいろんなところに出ている。それを変えずに続けるというのが一番大事なんだと思う。」



 

清流の森 森林の楽校

2001年に開始された「清流の森 森林の楽校」。受け入れ先や開催場所が遷移しつつも、とめどなく流れて来たせせらぎのように、継続して開催されています。

兵庫での森林の楽校開催のきっかけは、JUON設立の1998年に遡ります。徳島で開かれた4月の設立総会の半年後に、関西地区の会員を対象に「関西の集い」が開かれました。50人を越える参加者による熱い想いのやり取りがされるなか、流域単位でネットワークを進めて行こう、という考えが出されます。

それを受け、2000年に関西で開いたJUONの総会は、千種川流域を舞台に上流から下流まで2市7町の関係者にも参加いただき、「ちくさ宣言」を採択しました。当時、千種川河口沿岸に位置する家島諸島の漁業協同組合が、上流の山に植林する活動を既に進めていました。総会の記念イベントとして、その隣の斜面に植林しました。千種川は、堰はあってもダムはない清流。翌01年、その苗木周りの下刈りを兼ね、「清流の森 森林の楽校」の第一回が開催されました。

当時から参加者の多い「清流の森」。道具も指導者も、主に地元の森林組合にお世話になっていました。その後、千種町が宍粟市へと合併し、森林組合の合併などもあいまって千種での受け入れが難しくなり、06年から同じ宍粟市内の一宮町中坪地区にお世話になるようになりました。この頃は、森林作業は道具が揃っている同じ宍粟市の山崎町にある県立の森林公園で1日目に、地元の方との交流は中坪で2日目に、という組み立てでした。

その後、自前でも作業の班長を賄えるように、また作業後とはいえイベント中に負傷者が出たことがあるため、安全管理を徹底できるように、という想いもあり07年から関西での「森林ボランティア青年リーダー養成講座」が始まります。その後、徐々に作業指導を修了生である関西ヤングジュオンが担うようになり、道具も充実して来ました。

初回は若者の参加が少なかったのを残念に思った世話人が、大学生協の神戸地域センター(現・関西北陸ブロック)に声をかけ、翌02年から共催が始まりました。学生のなかには、初参加した翌年に実行委員として関わる学生もいて、地元の方と、学生と、JUON会員を含むその他が、約3分の1ずつとなっています。

中坪地区には、そばや芋の植栽から収穫までの活動など、年間10回近く訪れています。しかしこれまで、地元の交流相手は自治会役員やその経験者がほとんどでした。そのため、村内の女性や若者にはJUONは少し遠い存在でしたが、14年から郷土料理を通じて地域文化を学ぶとともに、地元の主に女性の方々と交流し親睦を深める「中坪BAR」がスタート。また、15年には空家(「髙田ハウス」)をお借りできることになり、活動を進める拠点ができています。


 

そばの里 森林の楽校

富山県の南砺市利賀村で毎年開催されている「そばの里 森林の楽校」は2003年に開始されました。学生達も常連となり、地元の人達が再会を待ち望む活動として、しっかり根づいています。

富山県利賀村。以前は東礪波郡(ひがしとなみぐん)利賀村として、国際演劇祭「利賀フェスティバル」を中心とした事業が高い成果を上げ、過疎地域の活性化モデルとして有名になりました。しかし、一時期1000人を超えていた人口が、04年11月の市町村合併で南砺市となり、更なる過疎化に見舞われ、13年には640人まで減少しています。そんな利賀村とJUONの縁は1998年に遡ります。97年に廃校となった小学校の校舎を、利賀村と富山大学生協、そして大学生協北陸共同事業部(当時)が協力して、「スターフォレスト利賀」としてセミナーハウスに蘇らせ、同時にJUON結成時には有力な拠点地域となったのです。

その後、JUONからの呼びかけもあり、大学生協北陸地域センター(現・関西北陸事業連合)が主体となり、2003年に北陸地域の「森林の楽校」を開始、今では利賀村の坂上(さかうえ)地区・百瀬地区・豆谷(まめだん)地区の3地域で開催するまでになりました。3回の森林の楽校では、必ず地元の人達との交流と懇親を行い、山の人達との会話や触れ合いを大切にしています。

「そばの里 森林の楽校」を開催する目的は、他の「楽校」と同じように、山の現状とその土地の生活を知ってもらうことですが、利賀村においては、急速な過疎化と高齢化が進む中で、地元に元気を届けることが一番の目的となっています。その点で大きな力になっているのが、大学生協の学生や慶應大学の「牛島利明ゼミ」のゼミ生を中心とした「利賀ゼミ」の学生達です。彼らは、頻繁に利賀村を訪れ、7月開催の森林の楽校にも参加しています。学生達が参加することによって、雰囲気がガラッと全く違ったものとなり、お年寄り達にも笑顔が戻ります。

この楽校の中心で、JUON理事でもある清水文清さんは「森林の楽校を始めて、村の他の地域からも一緒に協力をして行いたいとの提案があり3ヶ所になりました。豆谷地区の草刈りは、外部が行っていたのですが、地元の人が『自分たちでやろう』と思い、一緒に行うこととなりました。今後も楽校を続け、利賀村に元気を届け、地元の人達が何かをやり始めるきっかけや場を提供できればと思います。」とその抱負を語っています。

【 キーパーソン 】 中西邦康さん
「そばの里 森林の楽校」で一緒に森づくり活動を行っている、現地のNPO法人「利賀飛翔の会」の代表。「利賀飛翔の会」は1998年に設立、自然に関する勉強会から自然保護活動まで幅広く、山の手入れも定期的に行っています。

一方で、76年から民宿を始め、震災復興支援として福島県の親子を招いての交流企画などのさまざまな取り組みを通して、利賀村の魅力・山の暮らしの智恵を発信しています。

「JUONの、いろんな里山との関わり、自然との関わり、あるいは読んで字のごとく樹を大事にしたい、森林を大事にしたいというような思い、そういったものは私どもの活動と、あるいは私の思いと共通するじゃないですか。だから、そういう皆さんと何らかで関わりを持っていけたら私自身もいいかなということで、関わらせていただいています。」

(過疎化の問題についての思い)「どこに喜びを求めていくかっていう、それは一人一人の思いじゃないですか。だから会社勤めのほうが気楽でいいという人は、それはそれでいいのですよ。でも、それじゃ飽き足らない、伸び伸びと自然の中で暑い思いもし、寒い思いもし、その中で四季の感動を肌で感じながら生きてみたいと、それもそれでまたいいじゃないですか。そういう人がおっていいのですよ。それでこそ田舎と都市があって、一つの国として成り立つ。皆が勤めることばっかり求めたらこれは国が荒廃してね、もう駄目になっちまう。そういう中で皆さんいろいろ感じてきている時代になった今こそ、ここにおってこういう生き様もあるよというものを、我々はしっかりと受け止めて発信してかないかん。こういう思いでやっとるわけですよ。」



 

さぬきの森 森林の楽校

2003年に始まった「さぬきの森」は、JUONのプロジェクト活動支援を受けた「間伐材ベンチプロジェクト」から始まりました。

02年4月から支援を受けたそのプロジェクトは、「香川ベンチの会」という、長本朝子さん(JUON理事)がメンバーになっているグループで「街にベンチを贈ろう!!」を掲げ、2mほどに切られたまま山に放置されている間伐材から、ベンチを製作するもの。搬出・乾燥・木材利用を試しに自分達で行ったのでした。この経験を他の人達にも広めたくて、2年目である03年には、一般から参加者を募りました。これが初年度の「さぬきの森」でした。

この前史時代のイベントの時から、親子連れの参加がありました。そうなった経緯として、映画との出会いが挙げられます。01年に埼玉県神泉村(現神川町)で開催されたJUON総会で、原作を翻訳した上遠恵子さんを招いての『センス・オブ・ワンダー』の上映がありました。そこで子どもが自然に触れる機会の重要性に気づいた長本理事が、しばらくして、別のドキュメンタリーに巡り会います。火と水と土と家畜とともに生き生きと遊ぶ保育園を取材した『こどもの時間』です。「子ども達を自然の中へ連れていこう」との思いで02年2月にJUON四国地域ブロック香川会で上映会を実施。その参加者から、その後の森でのイベントにも参加する家族がいました。今ではスタッフも、親子連れを意識して(もちろん大人だけの参加もお楽しみいただけます!)、作業は皮むき間伐、お昼は流しそうめん、が定番になっています。

そこで使う家族数分の梢や、流しそうめんの樋用の竹を伐り出す事前の準備は、例年「さぬき市林業研究会」(林研)が担って下さっていますが、14年は関西ヤングジュオンの姿もありました。というのも、13年度の青年リーダー講座in関西に、香川県から参加した学生がいたのです。彼女との再会も兼ね、どうせ会うなら森で、と関西から数名でお手伝いに行きました。 またこの時の、林研と香川大生のヤングジュオンとの出会いが、散策やクラフトで学生に森に親しんでもらう、15年3月実施の「お山歩会」を生みました。色々な取り組みがなされて来たのは、柔軟に対応して下さる林研や代表の田中政晴さんの存在があります。田中さんがこちらも会長を務めるベンチの会は、その後、街にベンチを贈る活動と並行して、幼稚園などで、ヒノキの椅子を親子で作ってもらう木工教室を開催しています。林研とベンチの会とのコラボは、これからも続きます。

【 キーパーソン 】 田中政晴さん
「香川ベンチの会」会長で、「さぬきの森 森林の楽校」現場指導者としてもお世話になっています。さぬき市で生まれ育ち、師範学校を卒業後は55歳まで美術の教員をしていた田中さんは、林業家であった父親の誘いで毎週のように山仕事もしていたということです。父親が亡くなったのち教員を退職し、実家を継ぎ、1987年に大川町の林業研究会を立ち上げました(02年の合併で大川町がさぬき市になり「さぬき市林業研究会」となる)。

「理屈はいらん。とにかく山へ来て、木や植物を見て楽しんで帰ってもらったらそれでいい。」「自分自身が教育に携わっとったということもあるかも分かりません。山を通じて人を育てる。人が育ってないと山は育たん。人間は太古の昔、森で育ったわけですよね。育てられた。そういうDNAがある限り、幼児に山の体験をさせておくべきだというのが私の思いです。」「自然の植生、天然林のような放置してある姿に近い人工林が理想だと思っているんです。植えない、刈らない、枝打ちしない、それをできるだけしないで、ほんの少し手入れしてやって、大きい分から頂戴して収益を上げて生活に活かす。香川県はね、小面積を多人数の人で山林を持っている。そういう形態だから、林業地のような経営ではなく、小面積でも質の高い量のある森づくりをせんとあかん。そのためには常に山に利用できる材積があって、植えなくても次の世代が育っていくような山づくりが理想だと私は思っている。」「森づくりだなんていうのは長い年月かけてできるものですから、ここで一年、あそこで一年というのではなくて、同じところでずっと継続することこそが森づくり。一本一本植えていった木という命との関わりの中で森が育つ。結果的に、同じ作業、同じ昼飯、同じ話になったりするかもわからんけど。そういうのが続く、続けていくことが本当の森づくりにつながっていく。200年先を見通した森づくりにつながるようなイベントであってほしいなというのが、私の思い。そういう意味では、ここが続いとるというのは、私ええと思うんです。続けなきゃいかんと思うんです。」



 

白神山地 森林の楽校

2004年から始まった「白神山地 森林の楽校」、楽校の中では唯一世界遺産地域で開催しています。秋田県藤里町にある、木の温もりに包まれた廃校活用施設「白神ぶなっこ教室」での宿泊と、朴訥な現地の人にガイドしていただくブナ林の散策。そんな癒しの時間を味わえる森林の楽校になったのは、やはり穏やかな人柄で親しまれていた北海道東北地域ブロックの理事であった故・塩谷勝さん抜きには語れません。

01年から、JUONでは各地に地域ブロックが立ち上がり、ブロックが企画を手がけようという機運がありました。また、自然散策も森林の楽校のなかで位置づけて進めていこうという状況もあり、03年に2ヶ所、04年に3ヶ所と一気に倍に増えたなかに、白神山地もありました。実は02年8月に「北海道東北地域のつどい」として、「白神山地学習会」と称する1泊2日の現地行きを実施しています。この時は、青森県側から世界遺産地域に入りました。その後、03年1月15日発行・会誌32号「各地域ブロックからの新春メッセージ」の欄で、塩谷さんは「秋田県側から白神山地に入った夢を見た」と初夢を書いています。それが正夢になったのは、04年5月のこと。とは言え、この時は「森林の楽校下見ツアー」としての実施で、正式に「白神山地 森林の楽校」が始まったのは、この年の7月でした。その後、異なる季節を堪能してもらえるよう年2回の開催を基本としました。白神山地の自然保護運動の中心人物による、ガイド(本も出している市川善吉さん、鎌田孝一さんなど)と、世界遺産の緩衝地域まで入っていける豊かな自然とに、参加した人の満足度は高く、08年までは参加者数、10〜20名で推移することが多かったのです。なお、青森側は世界遺産の核心地域に入ることができるのですが、秋田側からは緩衝地域までとなっています。しかし、「また来たい」「ほかの季節にも来たい」というアンケート結果が多いものの、首都圏からは交通費がかかるためか、実際に2度目に来る人は少なく、10年以降は残念ながら毎回一桁の参加者です。そのためもあり、13年以降は、年1回の開催としています。

この間、次のような工夫を試みました。ほかの森林の楽校でよく見られる「自分が手入れした森のその後を、また見に来たい」というモチベーションが湧くように、森林作業体験を組み込みました。交通費が安くすむよう(中高年限定ですが)JRの「大人の休日倶楽部」の更にお得なパスの利用可能期間に開催、社会人が参加しやすいよう、3連休に開催などです。今後は、参加人数を増やすことが最大の課題ですが、世界遺産地域で行う唯一の森林の楽校としての価値を、伝えて行きたいと考えています。


 

風の谷 森林の楽校

岐阜県揖斐川町(旧谷汲村)で開催されている「風の谷 森林の楽校」は、2004年9月に始まりました。

風の谷の拠点である「ラーニングアーバー横蔵」は、JUON NETWORKと繋がりが深い施設です。というのも、小林正美JUON副会長が、この施設を運営する有限会社樹庵の代表なのです。小林副会長は、出身地岐阜県揖斐郡の横蔵小学校が廃校になることを聞きつけ、早稲田大学生協在籍中に関わった「コープビレッジ神泉」での経験を活かし、04年に「ラーニングアーバー(学びの杜の意)横蔵」を始めました。

森林の楽校としては全国8ヶ所目として、当時JUON理事で森林組合にお勤めの田中正敏さんの協力で、04年9月に始まりました。現在は地元の「財産区の森」の手入れをメインに、年3〜4回のペースで開催しています。またラーニングアーバーには、楽校以外にも「森林の英語学校」というプロジェクト活動があったり、総会を開催したり、エコサーバー・リーダー講座を実施したりとJUONでお世話になってきています。

05年に周辺5町村と合併し揖斐川町となった谷汲村には、シンガーソングライターのさだまさしが作ったイメージソングがあります。それが、アルバム「案山子」にも収録されている「風の谷から」。歌詞に「風の谷へようこそ やさしい風の吹く村へ」と唄われています。それが「風の谷」の名の由来です。

風の谷の参加者は、愛知県、三重県の方が多いのですが、関西からも、朝出て普通電車で間に合う距離のため、兵庫や大阪在住のリピーターさんもいます。年3〜4回、つまり3〜4ヶ月ごとに四季折々を楽しめるという適度なインターバルが(宿泊付きでこの頻度の楽校は、実は他には無いのです)、リピーターさん達の醸し出す温かい雰囲気の醸成に役立っています。

財産区の森というのは、合併する前に村有林だった所で、地元の方々の管理会で管理・運営しています。横蔵財産区は何十haも有しているのですが、森林組合への作業委託に際し、わざわざ一部を除外して、ラーニングアーバーから歩いてすぐの裏山を、森林の楽校用に残してくれました。その配慮に報いるためにも、より地元の役に立てるようバージョンアップを模索中です。

【 キーパーソン 】 仲井博信さん
35年間勤めた地元の消防署に努め、その後横蔵財産区管理会・副会長。「風の谷 森林の楽校」が始まった当初、活動をする場所に困っているという話を聞いた仲井さんが、財産区の山を森林ボランティアに任せてはどうかと管理会に提案してくれ、以来、道具の手配、作業の指導などをしていただいている。

「遠いところからこんな田舎へ来て、作業が辛いだけなら一回で終わると思うけど、毎回来てもらえるということは、ラーニングアーバーが魅力なのか、山が魅力なのか、何が魅力なのかわからないけれども非常にありがたく思っています。じゃあ昔から地元に居る人はどうかというと、子どもはどんどん外へ出て行く。過疎化が進んで、60才でも青年部という非常に残念な思いをしています。」



 

四万十川 森林の楽校

泊まって遊ぶ生涯学習施設として、四万十市(旧・西土佐村)の廃校を活用している「一般社団法人西土佐環境・文化センター 四万十楽舎」(以下、楽舎)に受け入れていただいて、2004年から始まった「四万十川 森林の楽校」。実は楽舎とのつながりは、JUON創立の1998年に遡ります。

「廃校活用」を謳う団体の少なかった当時、10月に利賀村(富山県)でJUONが主催したシンポジウムに、遠路はるばる車を走らせて、「四万十楽舎設立準備室」の方々が参加・登壇して下さったのです。その後しばらくは、お互いに団体会員となって情報交換する関係に留まっていました。というのも森林の楽校は、当初は林業体験をする活動という位置づけで、2002年までは全国5ヶ所だけでの開催でした。しかし、森との関わりは多様であり、様々な世代に参加してもらうには林業体験以外のプログラムの場もあった方がよいとの理由から、自然散策や森林環境教育のプログラムづくりなども、含めるようになりました。03年に2ヶ所、04年に3ヶ所と一気に倍に増えた中に、四万十楽舎もありました。その流れで初回の04年は、9月の平日に開催し、森林環境教育の体験とプログラムづくりの2泊3日でした。しかし、参加者3人。05年も同時期同内容で予定するも、やはり参加者の集まりが悪く、そこで地元の魅力を満喫できる内容へと方向転換しました。

そうとなれば、せっかく「日本最後の清流」と呼ばれる四万十川に来るのだし、楽舎の得意分野のカヌー体験をしない手はありません。そうして06年からは、3月中頃の週末に、山仕事とカヌーを組み合わせた現在のスタイルになりました。(東日本大震災の翌週であった11年は中止しました。)

開催する3月での南国高知は、中旬にサクラが見られるような陽気ですし、ダムのない自然河川といえども下流域なので、オリンピック競技のような激流を下る訳でもありません。だから、ところどころにある瀬を下る時に少しスリルを感じる以外は、川から山を眺めながら、また沈下橋の特徴的な景色を楽しみながら、ゆったりとした至福の時間。水に濡れるようなことは滅多にないのです。森の体験に関しては、定番の竹林整備のほかは、炭焼きや炭材の伐り出しなどです。もう少し人工林に関わる作業をと要望し、年によりキンマ(丸太を載せるソリ)を使っての運材、自伐型林業、森林鉄道軌道跡の除伐などを体験させていただいています。

残念ながら09年以外は、毎回一桁の参加者なのですが、来た方の満足度は大変高いのです。廃校活用の過疎地の団体と、まちの団体という関係性で、変わらずコラボを続けて行きたいと思います。

【 キーパーソン 】 平野三智さん
「四万十川 森林の楽校」の受け入れ先である四万十楽舎の「顔」が、平野三智さん。四万十楽舎を訪れた人は、誰もが「みっちゃん」の名前を口にします。四万十楽舎が自然体験・宿泊施設として再スタートした99年、高校時代の恩師であり四万十楽舎を立ち上げた山下正寿さんより、東京の大学で教員免許を取り高知に戻って小学校の臨時教員をしていた当時に声をかけられ、それ以来スタッフとして支えてくれました(現在は退職)。

「11年前に楽舎ができた頃は、『四万十楽舎です』って言っても、『どこ?』みたいな。何をやっているかわかんないとか、スタッフは村がお金を出して雇っているとか、誤解もあった。」「今が楽しい。地域の人にわかってもらえない時は、しんどかった。楽舎スタッフみんなが西土佐に移り住んで、子どもを産んで、保育園・小学校に入ったくらいで、やっと地域とのつながりができてきた。これからが、本当にやりたいことができる時だという気がする。」「おんちゃん達、めちゃめちゃ喜んでたね。やっぱねぇ、若い人に飢えてんだよ(笑)。ニコニコやったもんね。嬉しかった、すごく嬉しかったなぁ。対地元とか対お客さんとかっていうのは日常でもけっこうあるけど、今回みたいに両方をつなぐことで喜んでもらえた時は本当に嬉しい。JUONが人を集めてくれて、楽舎ができることを一緒に提供するって形はすごくありがたい。」



 

つばきの里 森林の楽校

2006年の春頃、JUONの九州地域ブロックの活動として「森林の楽校」ができないかと模索していた世話人会に、母親の出身が長崎県の雲仙だった重元勝さん(JUON理事)が知人を紹介し、その年の11月の開催に漕ぎつけました。開催地を冠して「雲仙の麓 森林の楽校」という名称でした。当時の世話人会に大学生協九州地域センター(現・九州ブロック)の職員がいたこともあり、初回から学生が企画に関わっているのはここの特徴。海と山とが近いフィールドなので、ビーチコーミングや、水源の神社を巡るスタンプ・ラリーなどをプログラムに組み込んでくれました。神社の周囲は、重元さんの亡くなられたお母様が子どもの頃遊ばれた森。07年に車椅子で参加され、森林の楽校にヘルメットを寄贈して下さいました(当時94歳ですので、これまでで最高齢の参加者です)。1日だけの森林の楽校だった11年を除き、毎年活用させていただいています。

10年度まで雲仙で続けましたが、この間に受け入れのキーマンが体調を崩されるなど開催が難しくなり、新たな場所を探すため11年度はお休みにするか、というなか、長崎ウエスレヤン大学の佐藤快信さん(JUON元理事)の同僚のつてで、新たな団体「四季美」に受け入れていただくことになりました。活動地は長崎市で、県庁所在地から約15㎞と、16ヶ所の森林の楽校の中で一番まちに近い場所。ですが、合併する前は式見町という漁村ですぐ背後に里山があり、かつてはそこで採れた椿油は調理用に、白い花のサザンカ(実も花も小さいためヒメツバキとも呼ばれる)の油は髪の手入れに使われていました。それらが、ライフスタイルの変化によって使われなくなって来ていたのを、伝統的な絞り方を再現し、また実の採取場所を広げたなかに、活動地の「いこいの里 あぐりの丘」もありました。 式見地区での初回である11年は、四季美が元々予定していた、一般公募の油絞り体験イベントに混じらせていただきました。1泊2日のうちこれが2日目で、1日目は、大学生協のエコツアーとして佐賀県の清掃工場見学に行きました。

刃物を携えての森林作業もしたいという要望に、翌年応えて下さったのが四季美の有志の方々で、1泊2日の1日目に、12年はキウイの除伐をしました。ツル植物なので、耕作放棄地から野生化し、里山に蔓延し始めていたのです。その人達を中心に新たなグループ「ノマド」が立ち上がり、13年からはそちらにお世話になっています。この間、中心になって対応して下さっていたのが、五十川さんです。五十川さんと大学生協の担当学生とで、毎年ものづくりのメニューを考えて下さるのもここの特徴。これまで、MY箸、チャーム、カッティングボードなどをヒノキの間伐材で作ってきています。 今後、九州全域から集まる大学生協側の学生さんが参加しやすいように、ということも考慮しながら、続けていきたいと思います。

【 キーパーソン 】 五十川商司さん
長崎県長崎市における、現地の受け入れ団体「ノマド」の副会長。若い頃スペインで暮らし、日本に戻ってから長崎外国語短期大学(現長崎外国語大学)のスペイン語講座に通い、そこでノマドの会長である田平直文さんと出会いました。そのつながりから長崎市式見地区の地域組織である四季美に関わるようになります。市のサポートで進めていた里山整備を継続するためもあり、ノマドを立ち上げました。

「地域おこしの基本はヨソモノ、バカモノ、ワカモノじゃないですか。私はヨソモノだったのです。」 「間伐材を使った工作とか、循環型でやれるのがいい。それと、できる限り簡単なことはしたくない。『えらい複雑・大変』というのをやりたいのですよ。リピーターで来てもらい、道具も買って自分でやってみたい、というのをやりたい。今年は一晩泊まり込んでの炭焼き、間伐材を使ったシーカヤックづくりをやりたいと思っています。」  「森林の楽校に参加する学生は自分の意思で参加しているので、好奇心があって関心も高いし、意欲のある子が多い。若い子が言う意見はまだまだ青いけど、まずは自分で考えて、実際作業をしてみて、失敗して、分かってもらうことが大事なんじゃないかな。最近はテレビとかを見て知った気になっているけど、本当の勉強は現場で学ぶことだよね。これからのマニュアル通りにいかない世の中、想像力を働かせることが大切。」「学生たちがコアになって関わり続けてもらえるようにしたい。彼らがやりたいことを私がサポートできれば。JUONがその組織づくりに関わってもらえばいい。それと、セルロースやバイオ燃料の研究とか大学にも期待しているから、JUONにアプローチしてもらえればいいな。」



 

鳩ノ巣 森林の楽校 ⇒現:多摩の奥 森林の楽校

東京都奥多摩町において、2008年から始まった「鳩ノ巣 森林の楽校」。東京ヤングジュオンが中心となって行っています。

02年から東京都環境局(当初は産業労働局)の主催で始まった「多摩の森・大自然塾」は、多摩地域で活動する森づくり団体により、複数のフィールド(あきる野市、青梅市、八王子市、奥多摩町、日の出町、檜原村など)で実施されました。そのうちの一つ、JR青梅線・鳩ノ巣駅から徒歩5分の「鳩ノ巣フィールド」は、この大自然塾がきっかけとなって活動が始まった場所です。それまで、東京で特定のフィールドがなかったJUONと森林インストラクター東京会によって組織された鳩ノ巣フィールド連絡協議会(当初は4団体により構成)により、月1回(毎月第3日曜日)の大自然塾がスタートしました。東京都の主催は07年度で終わり、ほかの大自然塾は終わりを迎えますが、鳩ノ巣フィールドでは、コープとうきょう(現・コープみらい)のレジ袋基金の協賛により、森づくりフォーラム主催、JUONが事務局を担うことで、活動を継続することになりました。その後、現在まで毎月第3日曜日の「多摩の森・大自然塾 奥多摩・鳩ノ巣フィールド」は続いています。

一方、JUONでは1999年から「森林ボランティア青年リーダー養成講座in東京(以下、青年リーダー講座)」を開始し、2002年度の第4期以降は、鳩ノ巣フィールドでも講座を実施するようになりました。また、講座の卒業生である「東京ヤングジュオン」でも、月1回の定例活動(現在は毎月第2土曜日)を鳩ノ巣フィールドで行っています。なお、青年リーダー養成講座は、森林ボランティア活動の入口に過ぎず、活動を続けていかなければ、技術は身につきません。しかし、対象である18歳〜40歳の世代は、ライフスタイルが変わりやすいため、活動の継続がなかなか難しいところがあります。そこで、講座参加者が活動を続けやすいようにと、06年度の第8期からは「実践編」を行うことにしました。また、実際の森林整備の活動以外にも、興味や関心に応じた活動を実施できるように、実践編として「都市で伝えるチーム」「地域密着チーム」「間伐材活用チーム」などのチーム制を08年度の第10期からは取り入れています。

更に、スタッフとして関わってもらおうと、定例活動を行っている鳩ノ巣フィールドにおいて、07年度の第9期の卒業生から森林の楽校を行うことにしました。これが、「鳩ノ巣 森林の楽校」のはじまりです。アクセスのよい場所での、入門的な活動として、夏休み期間の日帰り(09年度のみ1泊2日)で年1回開催してきました。なお、鳩ノ巣フィールドは、手入れを始めてから15年以上が経過し、森林も成長してきました。整備活動も、初めての方が行うには、難しい作業となっています。そこで、18年からは、鳩ノ巣フィールドから離れ、地域密着チームなどでお世話になっている「おくたま海沢ふれあい農園」(奥多摩町設置の施設)の協力で実施することにしました。鳩ノ巣フィールドではなくなったことから、名称を「多摩の奥 森林の楽校」に変更しています。


 

会津高原 森林の楽校

2011年から開始し福島県で初の開催となった「森林の楽校」。割り箸工場見学を行ったり、大学生協の地域ブロックが運営に関わったり、特徴あふれる森林の楽校となっています。

「あたご共同作業所」での樹恩割り箸製造開始に併せて、10年の総会・記念イベントを開催した福島県南会津町。工場関係者だけでなく、町役場の方にも大変ご尽力いただき、無事実施することができました。

総会終了後に反省会を行った際、このつながりを継続するためにも、次年度は森林の楽校を行おうということで、総会実行委員のメンバーをほぼ継承して森林の楽校の準備を進めました。

あたごで製造された割り箸は、現在東北地域の大学生協で使われていますが、大学生協東北ブロックとしても、割り箸工場のある地域と継続した交流を行っていきたいとの期待があります。大学生協には、実行委員会でも中心的な役割を担っていただき、旅行担当者も実行委員となっています。

森林の楽校を開催している同じ県内に樹恩割り箸工場があるなら、「参加者が伐った木を割り箸の材料に使えればよい」とのことから、ここでは唯一、森林の楽校で間伐した材を割り箸の材料として活用しています。樹恩割り箸を食堂で使っている学生にとっては、通常の森林の楽校よりも、さらに身近に森を感じられるプログラムとなっています。農作業や地元の様々な方との交流も広げていければと考えています。

【 キーパーソン 】 沼田大輔さん
「地元とのコミュニケーションが大切ですね。森林組合や役場の方が、どういう思いで関わってくれているのか。何のために森林の楽校やっているのだろうか、というのが、もっとお互いに情報交換される必要がありますよね。」「森林の楽校の運営自体が目標ではなく、その運営を通じて何を得たいのかを、もっとしっかり詰めていきたいですね。自分としては、いろんな人とコラボできて、いろんな世界が見えるというのは非常に有意義だったけど、何年も経つと、目新しさだけではモチベーションにならないですからね。」
「大学生の参加型環境学習のあり方に関心があって、その一つとして弁当容器回収の活動もやっています。森林の楽校も参加型環境学習だなと思っています。」「学生がやりたいことを主体的に動かしていって、私は見守る。そのなかでいろんなことを学んでいきたいと思っています。JUONには、人や情報、ノウハウといった面で、それを応援してほしいですね。」



 

霧の高原 森林の楽校

2012年に開始した14番目の森林の楽校が、「霧の高原 森林の楽校」です。開始当初より夏と秋に2回実施している。群馬県2ヶ所目となるこの楽校は、1人の会員の熱い思いから生まれました。

「森林の楽校や田畑の楽校を、この地域でもできないか?」という話はときどきあるのですが、この質問を受けたときには「地域に自分が責任をもってやるという人がいれば、是非やりましょう。」と答えています。その返答に応えていただいたのが、群馬県昭和村の石坂哲也さんです。石坂さんは、「神の泉 森林の楽校」や「水源の森 自然ふれあい楽習」のリピーター参加者ですが、JUONの活動がきっかけで、地元に帰り、林業に転職しました。そして、地域の活性化のために、自分の住む地域でも森林の楽校を開催したいと思うようになり、事務局に相談があったのです。

まず石坂さんは、地元村議会議員さんを通じて、昭和村役場に森林ボランティア活動の提案をします。商工会、道の駅「あぐりーむ昭和」にも協力を要請しました。ボランティア活動に慣れていない地元の方に、提案を理解していただくのは大変だったようです。JUONの事務局が役場を訪ねたのが前年の3月。その後、地元では何度も打ち合わせをして、プログラムや役割分担を決め、開催にこぎつけました。

森林の楽校自体は思っていたよりもはるかに盛り上がり、「やさい王国」を名乗る昭和村で獲れた具材でのBBQがこんなにも美味しいことに、地元の方も初めて気づきました。 今では、首都圏の方が一人でも多く参加していただけるように、新宿駅発着の送迎バスを出しています。「環境保全とは?」、「人と自然の共存」などをテーマに、雑木林、人工林に重点を置いた整備活動やディスカッションも行っていきたいと考えています。

【 キーパーソン 】 石坂哲也さん
高校を卒業した後東京に出て、初めてのボランティアがJUONの「神の泉 森林の楽校」。以前から林業の衰退は気になっていたため、自然と「ボランティア」と「森林」が結びついたそう。その後、林業会社に就職、様々な作業経験を積み、「株式会社フォレストノーツ」を立ち上げました。

「外部から人が来て交流を深めてもらって、地元の方にもっと新しい考え方をもってもらいたいと思って始めたんですよ。」「ボランティアに来る人は本当の林業を知らないし、林業やってる人はボランティアを知らない。その価値観の違いや、お互いの無い部分を共有というか。参加者にはプロの仕事を、地元の指導員にはボランティアのよさを知ってもらいたいんですよね。」 「ボランティアで新しい価値のヒントを得たい。それは、プロの林業だと出てこないと思うんですよ。他の人が山林に対して何を望んでいるのか、林業の世界だけにいては分からないことを得られるかもしれない。」



 

キノコの森 森林の楽校

2015年に始まった、関西中国地域ブロックでの2つ目の森林の楽校です。 1つ目である「清流の森」は、01年から兵庫県宍粟市で、1泊2日で開催していました。 しかし、学生の授業が土曜も増えたり、社会人も仕事が入ったりと、2日間のイベントだと参加のハードルが高いのでは? それなら、「日帰り1日の森林の楽校もあった方がよいよね。」と言う話があり、日帰りとしました。

大学生協の視点から、関西地域と言うくくりで見た場合、兵庫県で「清流の森」を開催すると、大阪、兵庫、和歌山からの参加は多いのですが、 京都、滋賀、奈良からは心理的な距離があったため、京都で開催出来るとよい、という考えもあり、「キノコの森」を開始しました。

「キノコの森」の活動地は、京都府亀岡市の里山にあります。それまでの関西中国地域ブロックの活動地である宍粟市は、兵庫県の西肩にあり、鳥取県、岡山県と接しています。 そのため、関西都市圏からは車で2〜2.5時間などと遠く、移動のハードルがありました。しかし亀岡は、大阪府の北端の尖った辺りにほど近いため、神戸からも大阪からも近いのです。また、山陰線の千代川駅から車で10分ほどです。

1つ目の「清流の森」は08年頃から、森づくり体験のアクティビティに関しても、関西ヤングジュオン(森林ボランティア青年リーダー養成講座in関西の修了生)が担うようになって来ていました。その流れを受けて、「キノコの森」もヤングジュオンで実行委員を作って、立ち上げました。初代の実行委員長が女子大生だったのですが、「森のイメージと言えばキノコ」ということで、命名されました。活動フィールドでは、シイタケをホダ木で栽培していたり、秋には色んなキノコを目にすることができるのですが、「森林の楽校」のアクティビティとして、キノコ採りができる訳ではありません。その点は、誤解を招くことが多いのですが・・・実際には、針葉樹林での間伐や道づくりを、ヤングジュオンの指導の下、行います。

【 キーパーソン 】 森光信さん
「キノコの森」のフィールドは、針葉樹も広葉樹もあり、また、炭窯もあるフィールドで、その山主が、森光信さんです。森さんは1964年、京都府亀岡市に生まれ、大阪の大学にも自宅から通い、現在は精密板金工場に自宅から勤務する、根っからの土地の人です。一方で、都会から近い里山で兼業農家をしています。リーダー講座の生活面でも色々と気を回して下さる面倒見のよい方で、近隣でなかなか安価な宿が見つからなかった時も、助け舟を出していただきました。

「この村では一般的によその人は受けつけない。でもすぐ近くで同じ時に苦労してたから、仲間のような感覚を持ったってのもあって、うちの山を使ってよいよって。」「村で山をやってる若いもんは一人もおらん。なのに若い女性までもが森に入ろうとする姿に、心を打たれたんよね。」「まわりを伐採して、大分綺麗になってるところで、4本のうち1本は既に伐ってある。なのに、何故その横の木を伐んねん?伐りやすい、楽なところばかり選んで、『JUONでたくさん伐りました!』は違うやろ。これまでの人がやったことの上に、今の自分がいる。何故そこに木が残されてるのかを考えるのが、思いやり。」



【 キーパーソン 】 宮崎省三さん
京都府亀岡市で里山の整備と炭焼きを行っている京都竹炭クラブ・代表。1944年、京都市生まれ。大学を出た後、京都生協に就職。職場の関係で障害者の方々と一緒に活動し、たくさん教わることがあったので、いつか恩返しがしたいと思い、「樹恩割り箸で炭を焼いて商品化し、障害者の仕事をつくろう」というプロジェクトも進めました。京都竹炭クラブで、既に森信光さんの山で炭焼きをしていたことが、「キノコの森 森林の楽校」につながりました。

「若い世代と我々の世代が一緒にやれるというのは、JUONのものすごい大きな特徴だなぁと感じています。どこの環境団体も後を継ぐ若い人達の参加がなくて困っているんです。最近、亀岡の農家の人たちが、若い女性がヘルメットを被り、鋸やナタを持って山に入る参加者を見てとても驚いていました。中にはスカート姿の人もいて、これはもう晴天の霹靂でした。」「『JUONに期待すること』は、何にも考えないで、ただ森の中にいる、そんな時間をもてる組織として広がればいいなぁと思っています。環境問題や京都議定書なんかはひとまず置いて。若者が異世代の人達と出会い、焚き火を囲んで、木漏れ陽の下、小川の側で…語り合う、森林はすべてが舞台になります。学校で学べない多くのことを、森林をフィールドにして学びあえたらと願っています。」



 

安曇野 森林の楽校

「残したい静けさと美しさ」と言われ、「日本のふるさと」と称される長野県安曇野市。北アルプス山麓に広がる信州・安曇野で、「安曇野 森林の楽校」が開催されたのは、2016年からです。

山紫水明の地安曇野では、長い間森林の楽校がありませんでした。お隣りの富山・新潟・岐阜では、毎年森林の楽校が開催されているのに、そして長野県は日本有数の森林面積と森林率を誇っていながら、森林の楽校が無いのは実にモッタイナイ。そして遂に「安曇野 森林の楽校」が誕生しました。

安曇野市では、5年計画の「安曇野市里山再生計画」(愛称:さとぷろ。)が15年に策定・施行され、5つのプロジェクトが発足しました。その中の「里山保全・体験学習PJ」では、年間5つのイベントが計画され、森林の楽校はその一つとして開始されました。安曇野市の「里山再生計画推進協議会」の委員が、JUONの活動に参加していたため、声をかけたのがきっかけです。その後JUONメンバーが下見に行くなどして、実現しました。

これまでは、1泊2日の行程で、戦前までは松茸が採れていたという里山の間伐や枝打ち作業、獣害に悩む里山の現状を学んだ後は、薪ストーブが暖かい古民家に泊まり、地元野菜をふんだんに使ったご飯を食べて呑んでの交流会も魅力です。森林作業や体験学習の他にも、信州の魅力溢れる絶景温泉・リンゴ狩り・ワイナリー見学で体も心も癒すおもてなしツアーとなっています。

※2017年の模様は、https://juon.or.jp/news/news_detail_33.htmlにて、90秒の動画で見ることができます。