JUON NETWORKの設立まで


JUON NETWORKは、阪神淡路大震災での支援活動を契機にして、徳島県三好地域との交流・廃校活用の取り組み・樹恩割り箸の生産開始を進める中で、3年余りの準備期間を持ち設立されました。
それらの取り組みの紹介をし、設立までの歩みをたどります。
 
震災での支援活動と交流 
廃校の再活用 
割り箸づくり

 

1.震災での支援活動と交流

1995年1月17日に起こった阪神淡路大震災は6千人以上の犠牲者を出し、何万戸もの住宅を一瞬のうちに奪い、数多くの傷跡を残しました。その一方、復興支援のため全国から何万人ものボランティアが駆け付け、日本における「ボランティア元年」になりました。

 (1)仮設学生寮の建設と運営

全国大学生活協同組合連合会(以下、全国大学生協連)は1月18日、震災の翌日には被災地に常務理事を送り、迅速に生協関係者などの安否確認、救助活動の支援やこれからの支援活動の体制作りをしました。

復興のために最も問題となったのは大学の下宿の倒壊です。神戸や関西地域にある16の大学の下宿生、約1万5千人のうち3分の1の約5千人が震災で下宿やアパートを失いました。それに加え、4月からの新入生約4千人も下宿確保が困難な状況が起こりました。全国大学生協連は仮設学生寮の建設を決定し、新入生が入ってくる4月中旬までに600人分のプレハブの大学生用の仮設下宿を建設することとし、建設費・水道代・ガスの設備など総計約2億円近くの支援計画を開始します。しかし、震災の影響で建設コストが見込みの3 倍になってしまい、規模を縮小せざるを得ない状況になりました。

この仮設住宅は全てプレハブでの建設が予定されていましたが、3月13日に徳島県三好郡山城町の森林組合や三好流域林業活性化センターなどが結成した被災学生仮設組み立てハウス支援実行委員会が、間伐材を利用した組み立て式のハウス60戸を被災地に提供することを決め、このミニハウスは芦屋市朝日ヶ丘町のテニスコートに設置されることとなり、大人二人で一日あれば組み立てられるものでした。

プレハブの材料の値段が高騰している中で、ミニハウスは一部無償で提供されたものもあり、より多くの学生に仮設寮を提供することができ、費用の削減に繋がったので、寮の家賃も抑えることができました。

最終的に全国大学生協連は1億1600万円の募金を活用し、総計2億3000万円を仮設寮に投資しました。人手不足のため一ヶ月以上かかった建設は1995年4月27日に終わり、仮設寮が被災地の5ヶ所で開設されました。神戸市、西宮市と芦屋市で合計222室、計270人の被災学生を入居することができました。


 (2)ボランティアと農山漁村をつなげる

ミニハウス型仮設学生寮を造るにあたって、高校や大学の学生ボランティアが徳島県での部品作りの手伝いから、芦屋での寮の組み立てまでも行いました。このミニハウスの建設により全国大学生協連と三好の人々との交流が深まりました。

当時全国大学生協連の常務理事を務めていた小林正美氏は、その夏、仮設寮のミニハウスを提供してくれた徳島県三好郡へボランティア交流会に行きます。そこで林業の置かれた厳しい状況を見聞きしました。仕事のきつさや儲けの少なさに加え、過疎化による後継者のいない点などが林業、農業、漁業ともに問題になっていることだと知ります。

小林氏は阪神淡路大震災の翌日から4ヶ月、被災者の支援を続けてきた若いボランティアを見て、「彼らは場ときっかけさえあれば」活躍し成長するということに感銘を受け、のちに若者と農山漁村を結び、環境保全や地方文化の発掘・普及を目指すためのJUON NETWORKの構想を持ちます。

【 キー オピニオン 】
阪神淡路大震災後、学生ボランティアの束縛されない立場、多彩な個性と問題解決のための前向きな姿勢を生かして、ボランティア活動の場やきっかけ、または学生ボランティアの幅広いネットワークの設立が重要になりました。また、過疎化による農山漁村地域での人手不足の解消や廃校になっていく学校などの再活用が重要な課題として、このようなボランティア活動は今求められています。また、インターネットの普及により、いつでもどこでもこの活動に参加できるのです。
(小林正美:1998年2月)


 (3)三好郡での交流会の開催

全国大学生協連と三好郡では、その後毎年交流会を開催しました。学生ボランティア、仮設寮の入居者、そして、農山村の人々をつなげるこの取り組みはのちに農業や林業体験に発展していきました。

一回目のボランティア交流会「ボランティア交流会in神戸」は1995年8月3日から4日に行われ、芦屋に三好農林高校や池田農林事務所の方を招き、芦屋のミニハウスの設置状況や学生との交流を行いました。芦屋の仮設寮はテニスコートの上の照り返しのせいで外の気温は40度、室内は45度の暑さでした。三好郡の方々は実際の入居学生の部屋に入り、仮設寮での生活を知るとともに、暑さや木の劣化の問題を体感し、改良点を思考しました。また、生徒達は自分達のボランティア活動が入居者の役に立っていることを実感しました。

その後、「ボランティア交流会in徳島」が8月の5日から7日まで三好郡で行われ、仮設寮の入居者とミニハウスの建設ボランティアが徳島を訪問しました。初日は主にボランティアの思い出話などをして楽しく交流しました。二日目からは林業体験で、下草刈りを炎天下で1時間行った後、チェーンソーを使い間伐作業を行いました。午後からは林業体験のインストラクターなどとともに意見交換会が行われ、夜には阿波踊りの講習会なども行われました。

翌年の交流会は、「ボランティア交流会in徳島~都市、農山村交流〜」として、2泊3日で林業体験と現地見学を行いました。林業体験では下草刈りと除伐、枝打ちを行い、最近植えた苗木を守るための作業を行いました。また間伐の作業も行い、芦屋のミニハウスがこの間伐材を使って造られたのだと実感しました。林業体験を指導した農林業の方だけでなく、地元の林業クラブの人とも交流し、林業の重要性などの学習会が行われ、学生達は人工林に手を入れていくことで山村の生活が成り立っていることを理解しました。夕食交流会では町長なども参加し、地元のごちそうを頂き、なでしこ連の阿波踊りを見ました。

【 キー オピニオン 】
間伐なしには山は守れないことを知った。現地の人が山とともに生きていることを実感した。
(奈良県立商科大4年生 学生)


 

2.廃校の再活用

当時より、全国の農山村では深刻な過疎化により、廃校になる学校が増えていました。その学校は地域のコミュニティの中心として思い出が詰まった場所で、何とか再活用できないかと、様々な取り組みが行われていました。いくつかの大学生協が行っていた廃校からセミナーハウスなどへの改装は、都心から合宿で学生を迎え入れ、都市と農山村が関わり、のちのJUONの設立に繋がりました。


 (1)埼玉県児玉郡神泉村(現・神川町)では

1985年に埼玉県神泉村の廃校になった小学校を使い、早稲田大学生協はセミナーハウスを開きました。廃校は、スポーツや勉強・地域との交流が行える万能な施設に再活用され、毎年6千人の大学生が利用していました。この取り組みは、廃校の再利用により、その地域の文化の継承や合宿などによる都心と農山村との交流を目指したものであり、当時の早稲田大学生協専務の小林正美氏により行われました。

これにより、神泉村の村おこしに繋がる面白い企画も行われました。1997年には早稲田大学留学中のロシアやインドなどの学生10人が2泊3日の日程で村立神泉中学校の生徒45人にボランティアで英会話教室を開き、村の文化と都会の国際的な文化の融合に繋がりました。ボランティアの留学生も日本の都会だけでなく、過疎化の進んだ農山村の現状を体験できました。また、このセミナーハウスでは早稲田大学生協が村民向けにパソコン教室なども開いて、農山村の発展にも貢献しました。


 (2)富山県東礪波郡利賀村(現・南砺市)では

当時人口千人ほどの富山県利賀村は過疎化の進む中、児童の数が激減し、八つあった小学校は相次ぎ廃校になり、一つしか残りませんでした。そんな中、自然環境を生かし、村おこしのために廃校となった小学校の校舎の再利用を検討していた北陸の大学生協と村が協議し、国からの資金援助などを得、セミナーハウス「Starforest利賀」を実現しました。利賀村と大学生協北陸事業連合で運営する施設に生まれ変わったのです。この施設は校舎を利用して、会議などのために使う研修施設が3室、宿泊室は12室のほかレストランも設置しました。小学校の思い出を残すために教室番号や生徒のトロフィーや絵画などを展示したままになっています。そして、レストランのテーブルや椅子などは仮設学生寮を提供した徳島県三好郡からの間伐材で作られました。( 1998年5月 )

【 キー オピニオン 】
自然豊かで、古くからの文化と新しい芸術のある利賀村でセミナーハウスを運営していくことは、学生と村民の交流を活発にし、学生にとっては普段味わえない自然や村の人たちの素朴な心に触れ、人間性を回復していく一助となり、村の人たちにとっては活発な村づくりの一つとなると思う。
(富山大学生協・清水文清専務理事:1998年)


 (3)新潟県佐渡郡畑野町(現・佐渡市)では

歌舞伎や浄瑠璃や文楽などの幅広い分野で高名な早稲田大学の鳥越文蔵教授が、ご自分の蔵書を約2万冊寄付し、鳥越文庫が1998年5月にオープンしました。鳥越文庫は畑野町の猿八地区の廃校の敷地内に建てられ、校舎は簡単な宿泊施設と勉強の場に改装されました。猿八地区は山の中に在り、郷土芸能が伝わる自然のあふれた地域で、この鳥越文庫により多くの学生や研究者を迎え入れるため、豊かな自然を使ったワークショップや農山村体験などが行われています。そのため、鳥越文庫は文弥人形など佐渡の芸能継承の拠点になり、演劇研究を行う研究者や学生にとって知的刺激の場になりました。

【 キー オピニオン 】
山林の荒廃が進み、人間形成に影響をもたらす社会環境が貧弱になりすぎた。自然の中で互いに触れあう体験の大切さは増している。
(全国大学生協連会長・東大名誉教授 大内力:1998年)


 

3.割り箸づくり

全国大学生協連と三好郡の林業関係者との交流は「健常者と障害者の対等なパートナーシップ」をもとに間伐材を使用した割り箸づくりに発展しました。

1997年7月には「人・時・自然・環境委員会in三好」が開催され、全国大学生協連から間伐材を使用した割り箸づくりが提案されました。

1997年8月に割り箸に関する情報収集が開始され、三好流域林業活性化センターの開発会議で福祉との連携が不可欠だとして、福祉関係者に打診することが決まります。

全国大学生協連の支援の下、1997年11月にはプロジェクトチームが発足されました。割り箸の生産は山城町森林組合で行われ、選別や発送の作業は社会福祉法人の池田博愛会運営の「箸蔵山荘」で行われることになりました。1998年4月に箸蔵山荘の古い作業場をボランティア支援で改築し、割り箸の操業が赤字覚悟で開始されます。

山城町森林組合が製造・販売、4月に設立されたJUON NETWORK、そして、全国大学生協連が普及の協力をするというこの割り箸は、9月には東京農大と早稲田大学の生協への出荷が始まります。また、使用後は食堂で回収し、パーティクルボードなどに再生することも検討されました。

その後、低コスト化と増産のために利休箸から元禄箸方式にライン変更を行うことや製造から発送まですべてを福祉側で行うことが検討され始めます。

【 キー オピニオン 】
障害を持つ子たちは、仕事があり、それに見合った収入があって、はじめて自分の価値を自分自身で認めることができるのだと思います。
(養護学校教員)